われに五月を

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桜咲き誇る季節がすぎ、外を歩くのが気持ちいい季節がやってきた。今日で36歳になった私は、父親になっていた。

立場上、父親になったときに思ったのは、「出産の時の思い出をビデオに」みたいなサービスのこと。出産の立会いは気軽なものじゃなかった。「思い出をビデオに」なんてふざけてる場合じゃない。

嫁からの「破水なう」というLineメッセージを受け取ってから1日とちょっとの時間。さらにいうと、その前の日から陣痛があったので約3日。その間、最愛の人が苦しみ呻き続ける。

代わってあげることもできないし、助けることもできない。手を握り、腰や足をさするしかできない。できないことのほうが多い3日間だった。

最後のほうだと、見てられないぐらいドン引きする状況だ。「いざ分娩室へ」と声をかけられ、よろよろと歩いてその部屋に向かう嫁の姿をみて涙が出そうになった。神様ごめんなさい、もう許してください、勘弁して下さい。

分娩室でも自分にできることはほとんどない。みんなが「がんばれ」と嫁に声をかけるが、「がんばれ」という声がなかなか出ない。もうすごくがんばっている。

それでも嫁は見たことないぐらいがんばって、大きな女の子が生まれた。new Human(); Hello World; 人口++; みたいな感じ。

その後、しばらくは後ろで小さく泣く娘を見ることができず、嫁にむかって「よくがんばった」と言うしかなかった。最後まで涙なんてでないし、感動なんてしなかったけど、お医者さんからの「大丈夫ですよ」にブワってなった。

それから数週間が過ぎたけど、「ここにお父さんの名前を」と言われると親父の名前を書いてしまったり、「お父さんもお仕事がんばっちゃうでしょう」と言われても「そんなことはないな」と思ったり、「イクメンですね」と言われると「はぁ?」って思っている。

「赤ちゃんの幸せ」と言われても「まずは自分が幸せにならな」と思ったり、「名前には子供に対するご両親の願いを」と言われても、「親に勝手に願われても迷惑ちゃうか」と思ったり、10ヶ月で父親としての自覚なんてわかなかったし、今も実感はないし、これはしばらく続くだろう。

でも、我が家にはパルプンテばかり唱える娘がやってきたのは事実であり、父も母もヘロヘロだけど、ずっと見ていても飽きないし、沐浴のタイムもセナ並に攻めて縮めているし、声を枯らして泣き叫ぶのを見るとむしろ笑ってしまってごめん。

どこにだって一緒に行こう。お互いの記憶を集めよう。何回だって話をしよう。忘れないように教えあおう。そしてゆっくりでいいから、父と娘になっていこう。