
会社を辞めての大きな発見は、「勤務時間がなくなった」のと「平日休日がわからなくなったこと」だった。でも、月給とか勤務時間とか平日休日がなくなれば、もっと働き方改革になるんじゃないだろうかなぁ。
勤務時間の楽ちんなところ
時間を過ごせばお金がもらえる仕組みはすごい楽ちんだ。もちろん成果がないと評価が・・・とかはあるだろうけど、あるときにこんなシーンに遭遇してそう思うようになった。
とあるオフィスで働いていて、とある業務委託の人たちが、とある時間になったらいきなり全員立ち上がって帰っていった。はじめは飲み会とかかなー?と思ったけど、彼らにとっての定時だったのだ。
そんなうまいこと仕事を切り上げられるのだろうか? みんな一緒に切り上げられるってすごくないか?
さぞかし優秀なチームに聞こえるかもしれないが、彼らの評価は残念ながら低い。言われたことしかやらない(やれない)ようだから、そうなってしまうのも無理はない。実際、暇そうだし。
やっぱり「あなたに頼んでよかった」と言われる仕事をしたいものだ。
勤務時間がなくなったなら
勤務時間があると、上記のように考えなくなってしまう人もでてくるだろう。逆に、優秀な人は、いくら短時間で成果を出したとしても、8時間勤務しなければならない。1時間で終わらせて、のこり7時間で7倍の成果を出したとしても、給料は簡単に上がらない。
勤務時間のない生活というと「自由でいいなぁ」と思われるかもしれない。たしかに、朝夕のラッシュはさけて動けるし、基本的に自分で決めたスケジュールにのってストレスなく一日をすごせる。
ただ、ひとつひとつの時間。とくにクライアントとの時間をどれだけ有意義なもの、価値の高いものにするかが重要になので、必然的にその瞬間にかける仕事になる。
毎日が富士山のあと1合で頂上な感覚で目が醒める。
月給がなくなったなら
勤務時間がなくなれば、月額給与もなくせると思う。報酬はシンプルに「成果対しての価値」か「時間に対しての価値」になる。
ただ、「時間を使う」働き方は、一日24時間しか資源がないので消耗戦になってしまう。だから、それぞれの「時間に対しての価値」を高めていく必要がある。その結果を「成果」へとつなげていく必要がある。
1回いくらの働き方になるので、そりゃもうがんばるしかないさ。だから、稼働時間数時間であっても日に3件回るのが限界で、一日の終りにフラフラになる。たぶん、楽天やメルカリでの一番忙しいときより忙しい。会社ってなんだろう?
勤務場所がなくなったなら
毎日違う場所にいるので、勤務場所はなくなっても困らないとんでもなく働きやすい。
ただ、僕の場合、会って話す仕事が中心なので「場」は必要で、その場は画面を通して作るのが難しい。
まぁ、通勤時間は読者に使えるし、お会いする人たちが魅力的なので、リモートにこだわりはないから良かった。
休日平日がなくなったなら
育休をとったときに、「平日なのになんて人が多いんだ!」と感じた。休日の企業が入るビル街のように、殺風景な風景が広がっていると思っていたけど、以外にどこも混み合っている。
平日働く人がいれば、休日に働く人もいる。朝働く人もいれば、夜働く人もいる。当たり前のことだけど、僕の場合は休日に、休日働く人からサービスをいただいているのだなぁと改めて思った。
勤務時間がなくなり、月給がなくなると、休日平日の意味があまりない。もちろん、休みは大切なので休む日は決めているが、別にそれが土日じゃなくてもいい。
ただ、世の中の大半の企業が土日休みで、その企業の仕事をしているので、あわせて休んだほうが効率がいい。
1回いくらの働き方なので、土日祝日は収入が減るが、そもそも毎月日数が違うのに、同じ月給になるのはおかしいとも言える。
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というわけで、超個人的労働集約型働き方改革は改善の途中である。ハックできたのは
- その日のうちに、その日できた宿題と次回の準備までやりきって、次の仕事に取り掛かるのが一番効率的だった。「すぐやる力」も身につく
- 休むときは本当に休む。働くときは本当に働く。そうならざるを得ない
- 来客の水はもらわずにお茶を持参する。エコだしバッグに飲みかけの水が大量にたまって重い
- エレベーターまでお見送りも断る。閉まるまで頭下げるのきまずいよね。閉まったと思ったら開いたときなんてなんとも
- 駅ごとに過ごしやすいカフェがわかってきた
くらいだろうか。充実していて楽しいのと同時に、働くって大変なんだなと気が抜けない毎日だ。