中途の人が現状の課題や問題を責めちゃう問題について

だいぶ昔。レガシーなシステムを担当することになった中途エンジニアが、現場のエンジニアとぶつかってしまい、結局、弾き返され、その後辞めてしまったことがあった。中途あるあるの一つだろうけど、最近似たような話を聞いて、あらためてこの問題について考えてみた。

できてないことにイライラしてしまう人たち

課題のない職場なんておそらくなくて、そういう状況だからこそ、経験を積んできた中途が求められたりする。

でも、現状を見てしまうと「あれもできていない」「これもできていない」とか、「これまでよくこれでやってきたな」とか思ってしまう。

僕も昔同じことを思ったけど、超巨大レガシーシステムについて、とある尊敬するアーキテクトが

課題や問題があるとしても、現状に敬意を持つべき

と話しているのを聞いて、考え方がちょっと変わった。

そして、この歳になってあらためて非難する人たちを目の当たりにして、「いつの時代も繰り返されるのだな」と感じた。もちろん、明日は我が身である。

問題を憎んで人を憎まず

ちょうど今、『スターバックス再生物語 つながりを育む経営』を読んでいて、内部文書が漏洩してしまうシーンがあった。

やがて、メモを外に漏らした人物を見つけ出して解雇したい、という気持ちは消えていった。スターバックスの内部で、そして外で起こった結果に比べれば、誰がやったのかは大して重要ではなくなったからだ。犯人を責めるよりも、前に進むほうが大切に思えてきた。

スターバックス再生物語 より

前に進む。これはこの本の原題『Onward』を指しているのだろう。

もちろん課題や問題認識は大切だろうが、それはきっとすべて前に進むために必要な要素だろう。前に進むために「非難」や「犯人探し」は必要ない。

でも、人間はそれをやめられない。なぜかは想像でしかわからないけど、自分を正当化するために必要なのかもしれない。でも、それが原動力になるとも思えない。前に進めない。

そう考えると、課題や問題というものが、とても近い存在のように感じられるようになった気がする。