
誰かが言いました。人生には三度のモテ期がある。似たような感じで、自分の仕事にふりかえる時期がやってきた気がするので、真面目に仕事の話を書いてみます。どちらかというとアジャイルの文脈が多いですが、これまで考えたことの総まとめとして。
はじめに
個人の意見です。できるだけ、相手の立場もふまえて考えるようにしてきましたが、僕はそこまでできた人間でもないってこと。
できるだけ、問題や課題の解決策を考えてきましたが、全然うまくいかなかったことのほうが多いです。結果的にうまくいったことも多数ありました。つまり、何が正しいかなんて答えはないってこと。
全体最適を考えるチーム時代
SIerでJava! WebLogic! Oracle! 業務Webアプリ! をしていて、もっとWebよりの仕事をしたいと考えて転職。「将来、アーキテクトになりたいっす!(おめめキラキラ)」と面接で話したはずなのに、「標準化」とか「開発環境整備」の部署に配属されたのがこの時代。今考えると、現場改善の道のりはここからはじまったのだと思います。
当時の課題点は「運用が大変で新しいこと、やりたいことが全然できない」でした。だから、
- 何に時間がかかっているかを見つけて
- ひとつずつ自動化したり、仕組みを変えて
- 運用コストが激減させ
- 新しいことができるようになった
というストーリーをみんなで描いて、実践して、数年かかって達成しました。このへんはツールを使って見える化したりした「開発ツール管理者の羅針盤」で事例紹介したことがあります。
この時代の後期から「アジャイル」という言葉が使われるようになって、社内に発信したりしてたのもこの時期です(当時はまだ希望を感じていた)。
アジャイルコーチ開拓時代
運用改善しまくったら、やることがなくなってしまいました。だから、「じゃぁ、僕達のノウハウを他の場所で生かせないかな?」と考えてはじめたのが、アジャイルコーチです。だから、世間一般の「アジャイルコーチ」とは違うかもしれません(そもそもね)。
自分たちは「開発組織全体に向かって働く組織」だったのですが、会社がWebサービス会社なので、Webサービス(しいてはWebのビジネス)になかなかつながってる感じがしない。だから、より現場につながることをしよう! と考えたわけです。
あとは、横串部署にいると、心悪しき人々が「どうせお前らサービス持ってないから」とか「お金稼いでないくせに」みたいな言い方するので、「じゃぁ、どちらが優秀か勝負しよう! 絶対勝ってやるぜ!」みたいな気概もありました。こういう言い方や態度をする人は、雑魚キャラだったり、すぐいなくなるってこともこのあたりで学んだかな。
余談。いままで一人が100%でやってることを1%にしても、100倍お給料がもらえるわけではないんですよね。これって、人が倒れて二人分の作業をこなしても、給料が二倍にならないSI時代とかわらないなと思ったり。
さて、仲のよいマネージャーにお願いして、ちょうどいいプロジェクトを見つけてもらい、自分のチームを引き連れて、いざサービス開発の現場に。席も移動して徹底的にやってみる! このあたりの事例は、「アジャイルリーダーシップと組織改革 ~楽天のアジャイル開発というリアル~」で話すことができました。
また、ここまでの物語は、平鍋さんの『アジャイル開発とスクラム』にも書かせていただいたので、よければぜひどうぞ。とても良い本です。
ここで学んだ一番大切なことは、ごく一部分であれば変えられたこと。多分、変わったはず。小さな一歩かもしれないけど、最初の一歩って難しいんだなと理解しました。ただ、その難しさを一緒に考えながら働いてくれたメンバーとは、今も仲がいいです。こういう仕事ができると仕事がまた好きになる。
それにしても、何かのサポートって、誰がどこまでやるかが本当に難しいんですよ。やりすぎると頼られちゃうし、やらなすぎるとやってもらえない。改善って人に言われてやるもんじゃないなと、身を持って学びました。
あとは、アジャイル開発導入サポートみたいな、自分たちと似たような仕事をしている人の話が聞けたのも大きかった。自分じゃない誰かが「いや、そこはうちの責任ではないので」と言ってるのを聞いて、「これじゃ外から中を変えるのは難しいだろう」と感じたから、チームメンバーを連れて現場に行こうと判断できた気がする。そして、それが正しい選択だったと思った。
今の時代、アジャイル開発の情報がたくさんあるので、知識を伝えたり、やりかたを伝授したりする外部研修系アジャイルコーチではなく、ライザップみたいに結果にコミットするニュータイプがモテるのだろうと思いはじめました。
アジャイルコーチ成熟時代
ひとつ新しい知見を得たので、違うサービスで同じような取り組みをはじめたのがこの時代。悩みながら答えを探していた当時の思い出は「地図を捨ててコンパスを頼りに進め」で話したことがあります。当時使っていた「かんばん」の解説は「塹壕より、かんばんとリーン」にまとめています。自分で言うのも何ですが、このかんばん事例、なんかすごいんですよ。
ここで学んだのは、楽しく働く難しさと、人に何かをしてもらう難しさ。
楽しく働こうと思えば、いくらでもできるんですけど、それだと仕事な感じがしないので緊張感もなく面白くない。特に周囲が面白くないみたい。「あいつらうっせーなー」みたいなことをいう人もいます。バランスを取りながら、最終的にユーザーだったりビジネスだったり、結果的に売上だったりに「つなげていく」リーダーシップに試行錯誤した記憶があります。
そして、自分がアジャイルコーチという立場としてリードするのではなく、誰かにリードしてもらうチャレンジもここでしました。育成ってほどでもないけど、誰かがやるのを絶妙に手伝う難しさ。時には厳しいことも言わなければならず、このときについてきてくれた人には、とても感謝しています。
あとは、ぜんぜん仲良くなれない人もいましたね。自分の言葉が伝わってないのが、話していてわかる感じ。こういう人を変えるのはとても難しく、「変える」って言うのもおこがましいものです。一方的な言い方になるけど、「今をよくしたい」という人であれば、何かと方向性があってくるけど、そうじゃなくて、欲望が自分自信の中にあったり、全く別のものに向いていたりする場合は、お互い不幸になるのかもしれない。
アジャイル開発ってなんとなくうまくやれるもんじゃないと思うんですよね。本気でやんなきゃ、少なくとも自分の期待値は超えてくれない手法だから、使いにくいとも感じます。
このあたりで、だいたいやりたいことはやれて、初心に戻って現場で一からやってみようかなって思いはじめました。仲の良いメンバーと働きつづけることもできたんですけど、それは今じゃない気がしました。いつでもできるかなって。
現場時代
そうして、一番タフそうな現場に来たのがちょうど1年半ほど前。育休明けだったので、はじめは「忙しいなー」と思ったけど、成果がでたのかはわからないけど「やれるもんだな」ってことがわかったのも大きかったです。
つまり、どれだけ大変な場所であっても、現場は現場だってこと。規模や緊張感、もとめられるサービス品質など、違いはあれど、結局、サービス開発でしかないってことがわかったのはとても大きかった。
行ってみて気がつくこともあれば、思った通りだった部分もあり、今思えば、時間はあっという間にすぎたけど、何か残せたのだろうか? さっぱり思いつきません。ただ、優秀な後輩がたくさんいて、彼らからとてもたくさんのことを学ばせてもらったのは事実です。優秀な若者はとてもいい。
そんな話をすると、ある優秀な後輩が言いました。「そうやって、試しに行ってみようと決めて、行ってみるのはすごい」と。そんなことは全然ない。思った以上にハードルはないものなのです。
そして、現場から見たアジャイルコーチからもいろいろ学べました。
自分自身の功名や自己満足、自己肯定感を求める人は、気持ち悪いのがすぐばれてしまう。妙に「チーム」を押しつけてくるタイプは、個人を尊重しなくて、仲良しごっこになってしまったり。
あとは、仮想敵を作って団結をあおる人もいました。たしかその人は、品質保証チームとうまくいってないとか言ってたけど、「やつらを無視してやるぜ!」みたいなことを話していて、もうアジャイルとか関係ないなって感じた次第です。がんばれアジャイル。
マシュマロタワーばっかり作っても、現場は良くならないんですよね。「やりかたをしらないとやれない」のもどうなんだろう? 子どもはそんなこと一切考えずにやりますからね。
そして今
こうやっていろいろやってきて、次は何をしようかなと考えはじめたのがここ数年のことです。
エンジニアとして、だいたい作りたいものを作ることはできるようになった(はず)。
アジャイルコーチとして、現場改善の一通りの経験やチャレンジはできた(はず)。
マネージャとして、マネジメントの基本は身につけられた(はず)。
次は、サービスやプロダクトに向かってみるか。あんまり乗り気はないけどビジネスに向かうか。どうすれば無敵になれるか。
多分、僕がヨボヨボになるころには70歳定年とかになってると思うので、そうすれば、あと33年働かなければならない。いかにその33年を楽しく過ごすか?
エイプリルフールなので、いろいろ言えるけど、ちょっとフリーランスでいろいろ現場を見てまわったり、ちょうどいい後輩がいるので、人月商売ではなく、チームで現場を良くしていく会社を作ってみたり、1年ぐらい家族と旅をしてみたり。転職活動はじめてみたり、フリーエージェント宣言するから誰かオファーくれないかな(いや、そういうサービス欲しいな。あ、でもそれリクナビか)とか思ってみたり。
そういう春が来ました。