「世界一日一ドル旅行」として欧米からアジアにかけて貧乏旅行した小田実さんの体験記。おそらく1950年ぐらいの話だが、色褪せないすばらしい旅行記だった。読んでいるとクスクスしてしまう書き方なのがまたいい。
まず、小田さんの不順なところがとてもいい。海外に留学に行こうというのにこんなことを妄想している。
ひょっとすると、きれいな女の子と恋におちいるという気のきいたことだって起こりかねない。
多分、本書の全体からかもしだしているのは、今で言う中二病だろう。だからか、なんだか親近感が持てて、読んでいてあきない。また、全然英語を話せないのに途中から急に話せるようになるのも面白い。
「おまえ、なかなかエイゴができるじゃないか。アメリカに来て何日だ?」
「四日」
「フム、たいしたものだ」
本当にこんな話をしたのか、小田さんにはそう聞こえたのかわからないが、すごい適用能力の持ち主なのだろう。大阪の人らしく旅先でのやりとりも愉快だ。
まわりの連中が、てんでにてんでのコトバで、「だまれ!」をやりはじめた。そのうちのどれがいったい効果があったのやら、二人は突然に黙った。「何語が効いたと思うかね?」
たしかに、いろんな言葉で「だまれ!」と言ってしまうと、どこで成功したかわからない。シュールな笑いだ。

しかしながら、その場その場で考える感性に魅力があるのも事実だ。
なぜヨーロッパへ来たのか、とヨーロッパ人に問われるたびに、私はいつも答えた。「そうだ、私は、あんたがたが、どれほどわれわれに、われわれの文化に冷淡であるか、あり得るか、を見に来たのだ」と。
多分、こういうことはなかなか思わないし書けない。小田さんはそれぞれの出来事からいろんなことを考え、つなぎ、言葉につないだのかなと思うところがたくさんあった。
そして、帰国して日本で感じたこの言葉は、なぜか心の不覚に残っていく。
久しぶりで中高線のラッシュ・アワーに行きあわせたとき、私は軽いめまいを覚えた。超満員の群衆、そこに充満する異常なエネルギー―― ただ、惜しいことに、これは誰もが言うことだが、そのエネルギーに方向がないのだ。
これはきっと、世界を「何でも見てやろう」と思い立ち、実際に見てきた人間にしか言えない言葉だ。旅が好きな人におすすめしたい一冊。
![]() 何でも見てやろう – 小田実 |