
仮に、無意識に自分は特別な人間だと考えてしまい、客観性を失った意見を周囲に発信してしまう病気を、アイ・アム・スペシャル病と呼んでみよう。そうするといろんな事例がこの病気なのではないかと思えてくるから不思議だ。
ケース1:おすすめのリゾート地を聞いた時の回答
こういう話をされた場合は疑おう。
- 「サンフランシスコの人は不親切だもん」> 基準が不明確。一部が全体になってる可能性あり
- 「あそこは日本人しかいないから」 > お前も日本人だろ
話を聞くときは、
- メリットとデメリットの両方を聞く
- 複数の情報(複数のホテルとか複数のレストランとか)をもらい比べられるようにする
がポイントなのかなと思った。その人が好きなモノが自分も好きなわけではないからね。また、一部の人間で全体を判断するともったいないってのは深夜特急にも書いてあったね。
ケース2:海外生活から帰ってきた人の意見
こういう話をされた場合は疑おう。
- 「日本は○○だから」 > 立ち位置がよくわからない
- 「アメリカでは○○だから、日本でもすべき」 > 理由が意味不明
私が経験した大抵の場合、これらの意見に価値はまったくなかった。
新しい経験は刺激としてすばらしいのだけど、それを自分の意見に無理にしちゃうと共感されないのかも。長く海外にいる人とか、外国籍の方ってこんな言い方あんまりしない気がする。
ケース3:イベントで発表している人はスゴイ論
そんなことないです。
普通のサラリーマンばかりです。私を含め、偉そうなこと言ってるけど仕事できない子もたくさんいると思います。
さいごに
なんでこういう話を急に書いたかというと、人を評価する管理職とかになってみて、客観的な視点の重要性に気がついたから。
アイ・アム・スペシャル病の話し方はとても痛々しい。「自分の視点=世の中の考え」みたいなのって、なかなか気がつかないものなので自戒をこめて。
ようは、「何がスペシャルなのか? そしてそれはみんなにとってスペシャルなのか?」をちゃんと考えてスペシャらないとだめなのかしらん。少なくとも私はスペシャルではない。