最近、「会社のために外部の勉強会で発表してくれてありがとうございます」みたいに言われて、とても違和感を感じることがあった。確かに会社名を入れて発表しているけど、決して、会社のために発表しているわけではない。
今日はそのことについて書こうと思う。
発表資料を作るときに考えていたこと
ちょっとこれまでの発表資料を眺めてみた。ほとんどが事例紹介なのは、やったことしか話せないからだ。また、自分は見たものしか信じないので、評論とか理論とかをまとめたり、聞いたりするのが苦手でもある。
これは、初めて海外のカンファレンスに言った時のフィードバック資料。はじめての勉強会発表だったと思う。このときは、Agile2010ですごく面白い発表があったので、その話題を中心に面白さの共有をさせていただいた。
のちに、これまでのRedmine経験をまとめた資料を発表させていただく機会があった。こちらは、システム編。
こちらは、人編。個人的にはこちらのほうが好き。
Redmineブームの影響か、それぞれ1年で2万PV、1万PVとすごく読まれることができたみたいだ。昔誰かが言っていた「コミュニティに恩返ししたかった」という言葉を聞いて、経験を外に発信しようと思ったのが発表の理由。
縁があってデブサミ2012では、2011年の開発の話をした。「大企業の中でアジャイル開発をした事例」になったのは結果論で、震災のあった年のプロジェクトで経験したことをまとめた、思い出日記だった。
Agile Tour Osaka 2012やDevLOVE2012では、今年1年近くつづけた仕事の経験について発表させてもらった。今年はかなり理想の開発に近づいた気がしている。
勉強会で発表するのは会社のためなんかではない
2011年に、アジャイル開発プロジェクトのリリースを終えた時に、自分の上司にこんなことを言われた。
こういった成功体験によってメンバーに絆が生まれ、思い出となり、それぞれが成長していく。自分もそういうプロジェクトを経験したことがあり、今も当時のメンバーとは深く交流がある。
これを聞いたときはピンとこなかったけど、「人を育てる」ということがメインの仕事になってくると、自分も同じように思うようになった。
僕が勉強会で発表する理由は、会社のためではなく自分とメンバーのためだ。
一緒に働いたメンバーとの思い出をふりかえり、お互いに讃えあい、感謝をするために発表資料を作るようになった。普通に働いていたら、職務経歴書に並ぶような無味乾燥なプロジェクト名になるだけだが、事例発表すれば、その時の思い出がWeb上に残る。
さらに、本や雑誌の取材に開発の様子を掲載してもらえれば、両親にそれを送ることもできる。「がんばってますよ」と伝えることができる。いい思い出ができれば、明日からまたがんばることができるかもしれない。経験を伝えると共に、思い出を残すために発表をするようになった気がしている。
「あの時は辛かったね。でも楽しかったね」というような思い出を残すために。