人生にはいろいろな選択があり、その選択を繰り返していくのが人生かもしれない。
今年の最後は映画『トレインスポッティング』の話を書こうと思う。
人生を選べ。仕事を選べ。キャリア、家族、大きなテレビ、洗濯機、車、CDプレーヤーや電気オープナー、固定金利、マイホーム、友達、レジャーウェアとそれにあった旅行かばん、こじゃれたスーツ、日曜大工や休日の午前に自分探しすること、お菓子を食べながらソファでクイズ番組を見ること、よぼよぼになって古くなった自宅で老いて行く事を選べ。
未来を選べ。人生を選べ。・・・
でも、それがいったい何なんだ?
調べてみると僕がまだ17歳のときの映画らしい。監督は『スラムドッグ$ミリオネア』のダニー・ボイル監督。今年のロンドンオリンピック開幕式の芸術監督を担当するまでになった人物だ。主演のレントンはのちにスター・ウォーズでオビ・ワン・ケノービの若い時代を演じたユアン・マクレガー。
昔見たときは、最後の主人公の表情が忘れられなくて、「クールな映画だ」と感じたのは青春時代だったからかもしれない。今は映画の感想などを簡単に調べることができるようになっていて、調べてみると映画の背景が見えてきた。
例えば、僕が週1回通っている英会話スクールの先生はイギリス人で、彼曰く、イギリス人から見たサッチャー元首相は評判が悪いらしい。彼女の政策は世の中の弱者に厳しかったらしく、映画の中ではドラッグとしてそのサッチャリズムが表されている。
そのサッチャリズムに飲み込まれていくのがトレインスポッティングの登場人物たちだ。でも、その中で、レントンは「だからどうした。俺は自分でドラッグ中毒を選んだんだ」と振る舞う。大きな流れの中で主人公は自分の選択をするわけだ。
世の中にはありきたりの「普通の選択」があり「それがなんだ」と笑い飛ばすこと。「普通の選択」はレントンが言うように退屈かもしれない。人生にはいろいろな選択があり、その選択を繰り返していくのが人生かもしれない。
世の中にはいろいろな言葉があふれている。社会問題や震災復興。高齢者社会。いいだせばきりがない。自分の働いている業界にもいろんな言葉があふれている。自分戦略。業界のトレンド。技術革新。いいだせばきりがない。でも、それがいったい何なんだろう?
自分はここ数年、どうやったらソフトウェア開発をしてユーザが喜び、ビジネスが成り立ち、エンジニアが育つか?ということを考え続けてきた。桜を見て「きれいだ」と思うようにそこに理由はない。理屈では説明できないことが世の中にはある。
「ソフトウェア開発は楽しい」
それだけで私の世界は十分満たされる。でも、それがいったい何なのだろうか?