
今年も暑い夏だ。東京オリンピックからもう1年が過ぎた。映画『東京2020オリンピック SIDE:A/SIDE:B』を観て、そういえばもう1年が過ぎたのかと思うのと同時に、まだ1年前のことだったのかと驚いた。うだるような暑さ。ぬるくなったアクエリアス。配布されたしょっぱい弁当。たまにくばられるアイスクリーム。いったいあの夏はなんだったのだろうか?
東京オリンピックとはなんだったのか?
映画について一言だけ言うならば、この映画から「オリンピック」を引き算すると何も残らないと思う。オリンピックは、それだけで強力なエンターテインメントコンテンツなので、ただそれだけで惹きつけられるものがある。しかし、オリンピック反対運動、コロナとの戦い、お粗末な東京五輪・パラリンピック組織委員会・・・。どれも深い問題や課題であり、それらを語る時間もなく、どれも中途半端な問題提起にしかなっていなかった。「あとは観た人が感じることなので」と丸投げするにも、情報が少なすぎる。
ただ、当時目立った森喜朗氏や、IOCのバッハ会長が見せなかった素顔が見れる。見せなかったのはきっとメディアだろう。大衆の前に立つ彼らにも彼らの人生があり、彼らなりの思いがある。もし、彼らの背景を知ったのであれば、「老害」や「ぼったくり男爵」とまで言う人はいたのだろうか? 少なくとも「〜〜草」や「〜〜www」みたいな無責任な言葉を投げかける必要はなかったはずだ。
自戒の意味を込めて、無知とは本当に恐ろしい。自戒の意味を込めて、責任を持たない個人的で一方的な意見は本当に恐ろしい。
この映画を観ながら、ずっと「東京オリンピックとはなんだったのか?」考えていた。しかし、答えはこの映画にはない。やっぱりなかった。
モチベーションの低いボランティアリーダー。与えられた責務をまっとうする地方自治体の職員。自分のために活動するボランティア。誰かのために活動するボランティア。歓迎されないオリンピック。
僕はオリンピックを歓迎する。
だから、開催が決まったオリンピック・パラリンピックにボランティアとして参加したし、後悔もしていない。むしろ、安易な言葉を使うと「人生が変わった」とも言える出来事だった。娘はパラリンピックを観て卓球をはじめた。もしかしたら、自分の家族にまで影響があったかもしれない。
「もしやりなおせるのであれば」といった考え方は嫌いだが、コロナのない世界で東京オリンピックを観たかった。体験したかった。参加したかった。世界中から集まるアスリートや関係者、感染者たちを盛大に迎えたかった。
本当に、それだけが心残りだ。
4年に一度の平和の祭典。わずかな時間のためにすべてをささげるアスリートたち。ずっと、オリンピックはナショナリズムの戦いだと感じていたが、実際にオリンピアンを間近で見て、人間の極限性の戦いなのだと感じた。
人間の可能性はすごい。その姿になぜか心を奪われる。人間は本当にすごい。