毒薬としてのアジャイル

ある方から「毒薬としてのアジャイル」という言葉を聞いて、「うまい言い方だなぁ」と感じました。「良薬口に苦し」のように示唆に富んだ表現です。

良薬になるか毒薬になるか

最近は、ソフトウェアテストやその自動化などに関心があるのであんまり気にしなかったのですが、昔一緒に働いた後輩が言うには、「一巡してまたアジャイル開発が話題になっている」といいます。

本当かどうかはわからないけど、日立、「アジャイル開発コンサルティングサービス」を提供開始 みたいなニュースを見ていると、「ついにこの木なんの木が動いた」と思わざるを得ません。

ソフトウェアの作り方が改善されていく、洗練されていくのは必然です。技術が進化するのに、作り方がそのままなんてありえないでしょう。

ただ、変わるというのはエネルギーがいるものですし、うまくいく理由より、うまくいかない理由を話すほうが簡単。そもそも難しいチャレンジなのだと思います。

ただ、「これは毒薬だ」という認識のもと、アジャイル開発を飲みこんでみるのは、とてもいいはじめかたかもしれません。むしろ「アジャイル開発でなんとかしよう」なんてのが胡散臭いのかもしれない。

僕個人としては、アジャイル開発のほうが人生が豊かになると思っていますが、「毒薬だ」という期待値ではじめるのは、導入が難しいプロセスであればちょうどいいかもしれない。

改善や成長が止まっているとかんじたときに、電気ショックのように新しいことをやる。もちろん、「やっぱり毒薬だった」になるのは悲しいけれど、それもまた一つのアクションですよね。

ただ、「これは毒だぞー」みたいに煽る人がいたら、せっかくの毒がうまく効かなそう。

ひさしぶりに個人的バイブル『アジャイルプラクティス』を読み直してみよう。

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