娘よ。息子よ。お父さんはもう迷わない。わけがない

40歳になりました。今日は誕生日エントリーとして、最近思う「心技体」のことを書き残しておこうと思います。

心技体

たしか、柔道でオリンピック3連覇した野村忠宏さんがインタビューか何かで話していたのがこの「心技体」でした。それからずっと忘れられずにいます。

最初の金メダルは「体」で取った。次の金メダルは「技」で取った。最後の金メダルは「心」で取った。

日本中が彼を応援する中、その大きな期待を背負った天才にも苦悩があり、最後は心で勝負をしていたのです。僕にとってこの言葉は、当時とても衝撃でした。

僕の「体」

20代は「体」でした。月160時間残業しても平気な体! これができるのが普通だったのか、できないと言うのが正義だったのか、それはもうよくわからないけれど、とにかく夢中で仕事をするのはとても楽しかったように思います。だから、今も楽しく仕事を続けられているのかもしれません。

20代の終わりには、「30歳になると筋力が自然に落ちていく」という話を聞いて、ジムで体を鍛えはじめます。ずっと痩せ型で、当時は170cmで49キロしかなかったのですが、平均体重になるまで太ろうと奮起。週3のジムと毎日のラーメンチャーハンセットの結果、10キロ増えました。

考えてみれば、部活動の筋トレをやったことがなかったので、乗り越えてよかったなぁと今でも思います。

僕の「技」

30代は「技」でした。ソフトウェアエンジニアリングのスキルを磨いたのがこの10年。コードはあんまり書かなくなったけど、うまく道具を使って楽をするスキルや、うまく情報やコミュニケーションの流れを整えて楽をするスキルは高められた気がします。

今だとモバイルアプリの自動化をベースに、未来のQA部隊、品質部隊をどう作っていくのかを楽しく学んでいます。Kotlinの本も読みはじめて、学ぶことがなくならない毎日です。そもそも、ずっと新しいものがでてくるから飽きないだろうと思って選んだのがこの業界でした。

それ以外は、ずっとリーダーやらマネージャやらをやっていたので、そういったスキルも身についたのではないかと思います。ただ、身につけたスキルよりも、それまでの経験やそのときに考えたことのほうが自分には価値があった気がします。

僕の「心」

40代は「心」になると思います。これまでもメンバーと一緒に何かをやることが多くて、彼らの成長や熱意からたくさんのことを学ばせていただきました。いい仕事をしたときのメンバーは、人生の友になってくれています。

これは、あのときの「あー楽しかった」が、一生自分を支えてくれるという事実です。

 

さらに、子どもからはよりたくさんのことを教えてもらっている気がします。

人生の数%の育休で、たくさんの時間をすごせて幸せだったこととか

自分が死んだときのことを整理して残そうと思ったときの気持ちとか

朝晩シフト制で娘の授乳大作戦を乗り切ろうと試行錯誤したりとか

いうまでもなく、何よりも楽しむことが大切だ友人に教えてもらったりとか

誰かの痛みが、自分のことのように感じられるのだとか

想像を絶する出産立会いに「もう勘弁してほしいー」と控室で泣いてしまったりとか

1メートルごとに世界の新しい発見を教えてくれたりとか

毎日公園に行って絵本を読んで一緒にお昼寝するキラキラした生活があることとか

泣き止まなくて、お母さんと途方に暮れるんだけど、あなたの笑顔でまたがんばろうと思ったりとか

親から離れて自立していくときの言葉にできない寂しさとか

朝、目を覚まして「おはよう」と言えるのがどれだけ素晴らしいことなのかとか

 

こんなことを書くとあれですが、子どもが遊ぶ風景を眺めるたびに、「ああ、世界はとても美しく、すばらしいものなのだな」と感じてしまいます。

だからこそ、力の限り生きていかなければならないなと改めて、改めて思うわけです。

40代は「心」を磨く10年になると思います。僕は欠陥が多い人間なのでピカピカになる気がしないですが、大切なことを友人や、同僚や、友人や同僚の子どもたちや、嫁や娘や息子や家族に教えてもらいながら、健やかに過ごせたらなと思います。

えいえいおー。