聞くところによると、最近の若者は自分の給料情報を気軽に同僚に話すそうだ。そして互いの額面を比較して「もっともらっていいはずだ」みたいな話をするらしい。今日はそういった他人と比較したがる若者のことについて、思ったことを書いてみる。
言わなくても困らないことを言う世代
ちなみに、僕はそんな話をしたことがない。大親友と呼べる人にすらしたことがない。だって、メリットがない。そして、言わなくていいことを言う必要もないだろう。
僕くらいの年齢だと、同年代はみんなマネジメントをしはじめる/する人が多くて、自社他社問わず、人の育成といったマネージャー視点の話をディスカッションしたりする。そんな中、この「若者が給与情報をシェアする」という話をたびたび聞くので、そういう時代がきたのかもしれないと感じた。
この話題をするときに、いつも問題に上がってくるのは、周りをやたらと気にする人をどうするか?という話だ。たとえば、「同期の誰々と同じ給料なんて納得いかない!」みたいな不満をぶつけてくる部下がいるらしい。
大切なのは納得感?
ただ、僕も過去にそういう経験があるのを思い出した。
たとえば、予期せぬ事態によって人が抜けて、穴埋めとして2人分働かされて、なんとか終わらせたときがあった。そのとき僕の評価があまりに普通だったので、「二倍働かされてなんで給料二倍にならへんねん!」と当時の上司を問い詰めたことがあった。
結局、答えられるはずもないことを確認しただけだったけど、「そんなのあたりまえ」みたいな態度が気に食わなかったので、以後「申し訳無さをせめて出せ」という要求を飲ませようとしたのが懐かしい。
たとえが悪いかもしれないが、こういう給与の話は会社で働く前提の話なので、ちゃんと納得できるまで話したほうが、お互いにとってためになるということだ。なぜなら、お互いルールを決めないで、お互い納得するのはとても難しいからだ。
他人との違いにくよくよしても成長しない
話を戻すと、同じ場所で働いているならまだしも、そうじゃない同期との給料差分を論じても答えは出ない。環境も役割も成果軸も異なる他部署の人間を比較できないからだ。ちょっと考えればわかる気きもするんだけど、お金がからむと感情的になってしまうのかしらん。
そして、もし自分の目標すらまともにたてられず、結果も残せないのであれば、僕ならきっと「がっかりした」ことをことを伝えるだろう。周りって気になるよね。でも、まずは自分をちゃんとみないと、人は成長なんてしないんじゃないかな。