彼のあの態度の事を考えると勇気がわいてくる

gore-tex-products via flickr
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昔、ある後輩から転職の相談を受けたことがある。その後輩は「自分がやりたいこと」と「現状の不満(とくに自分以外の人や環境)」の話をしてくれた。それを聞いてこんなことを思い出した。

若かりし頃だったので10年から20年以上前の話だ。当時の僕はろくに定職につかず、おぼろげに見える未来と不安を感じながらアルバイトをして過ごしていた。いろいろなアルバイトをしてきたけど、円満にやめたのはほんの僅かだった。

やめる理由もいいかげんで、嫌いな人がいたり、彼女に振られたり、行くのが面倒になったり、なんとなくだったり。自分以外のことを考えずに生きていた。

それでもいいや。また次の環境に行ったらうまくやれるさ。

毎回思っていたが、そんなことはまったくなかった。アルバイトが変わっても同じことが起こり、同じようにやめた。嫌なことから逃げたり無視してもお腹はいっぱいにならない。おそらく、たくさんの人に迷惑をかけていた。

こういった申し訳なさを考えるようになったきっかけは、ある日あるとき、自分の父親の「ある態度」に気がついたからだと思う。

僕の父は仕事の愚痴を子どもの前で言ったことはない。聞いた記憶がないのだ。そして、「ねぇねぇ遊ぼう」と言っても、いつだって嫌な顔をしなかった。そんな記憶もない。

親父は山登りが好きなので、我慢強い人間だと思う。だが、当時の僕には「態度」も「我慢強さ」もなかった。

そこから心を入れ替え、僕はとても幸せに過ごしましたとさ。めでたしめでたし・・・とはいかないんだけれど、それなりに変化はあったと思う。少なくともそれなりには。

話を戻そう。ひととおり後輩の話を聞いたので、自分の意見を伝えた。

きっと自分で選んだ道は、当たり外れはあっても間違いじゃないし、その意思を僕は友人として尊重したい。ただ、現状の不満を態度に出したり、周囲にぶつけたりすると、君の意思はとてもつまらないものになると思う。

自分を正当化したい。人を悪く言いたい。みんなに認めてもらいたい。スペシャルだと思われたい・・・。でも、自分の意思、未来、希望とか夢とか。比べてみると小さい話だ。

そう思わないか?

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