それでも僕らは生きている – 小説「さくら」より

ふいに実家へ変えることを決意した主人公。

実家では、母親と妹の美貴、そして愛犬の「さくら」がまっていたが、そこに行方不明だった父親が唐突に帰ってくる。主人公は、今はもういない兄のことを思い出し、自分の家族の過去を振り返っていく。やがて、大切なものを喪失した家族を包み込む奇跡が起こる。

さくら – 西加奈子


大阪の下町感覚で書かれる文章がとても愛らしい。

登場人物は誰もがユーモラスで、特に妹のミキちゃんにはわらかされ、胸をキュンとさせられ、そして泣かされた。僕は、毎日通勤時に本を読んでいるが、この本は本当に「続きが読みたくなる」本だった。残りのページ数が減っていくのがとても悲しくなるような本。

主人公は淡々と語っていくが、主人公家族を取り巻く環境はどんどん変化していき、輝いていた時代は、年月とともに光を失っていく。しかし、その中にも十分な救いが残っていて、かけがえのない存在を失った家族に希望を与える。

だいぶ前になるが、僕の業界では人が心の病に倒れていくことが多く、その話を先輩にした時、「心をやられた人と、その中でも平気で生活している僕らって、どっちが普通なんですかね」と聞いたことがある。先輩わ迷わず、

「少なくともこっちは普通だ」

と言っていたが、心の病の話って、「病気になった人はかわいそうだ」とか、「病気になるなんて弱すぎる」とか、いろいろあるんだけど、何をいっても後味が悪いのはなぜだろうと思っていた。

そして、「こっちが悪い」みたいな感じの情報ばかりがやってくるのがとてもつらくて、「こっちも必死に生きているんだよ」って、TVで能書きをたれる人に言ってやりたいのだ。

僕は、「さくら」のように「どれだけ辛くても生きていくのだ」という意志を強く感じ、「幸せの形」を改めて考える機会になる作品がとても好きだ。だから、仕事帰りの京浜東北線で、うぐうぐと泣いてしまった。

綺麗事は好きではないが、どれだけ辛くとも、どれだけ楽しくとも、どちらにせよ、世の中には色々あり、に多様なものだと思う。辛い人よりも辛い人はいるだろうし、楽しそうでも辛い人や、辛そうで楽しそう(あーなんだかわかりずらいな)もいるだろう。それにどうこういっても、何も始まらない。

だから、自分は強く生きて行きたいと心から願うのだ。