
死ぬまでにやりたいこととしてあげていたオリンピック・パラリンピックボランティアが終わりました。去年と同じく2021年の夏もどこにもいけなかったけど、このボランティアの経験は、新しい世界が広がるような経験になりました。
パラリンピックボランティア

僕はオリンピックが大好きで、4年の時間をかけて戦いに挑む選手たちの姿に心を動かされ続けています。ボランティア活動も当初はオリンピックだけを考えていましたが、せっかくの自国開催なのでパラリンピックも応募しました。

しかし、オリンピック・パラリンピック共に無観客となり、ボランティアの仕事が減ってしまったりしたようです。そんななかフリートドライバーや、パラリンピックの卓球会場で活動できた自分は運が良かったのだと思います。

特にボランティア活動が減る中、少しでも東京開催を体験してもらいたいと活動を調整してくださった小金井の役所から出向されたという組織委員会の方にはとてもお世話になりました。
本当にいい経験ができました。この場を借りて改めて感謝を申し上げます。
パラリンピックとは何だったのか

活動を通して感じたのは、自分と選手との違いです。車椅子、松葉杖、様々な選手やスタッフが前を通ります。
「ありがとう、こんにちは、ハロー、サンキュー、メルハバ、ドーブライジェン、ボンジュール、メルシー、ダンケ、アンニョンハセヨ、サワディーカップ・・・・」
IDをチェックするときのちょっとした会話を続けていると、彼らとの違いは何なのかよくわからなくなってきます。




パラリンピックのボランティア活動では、事前にeラーニングやトレーニングがあります。彼らは決して「かわいそう」な存在ではありません。彼らは自分でできることを自分で行います。
だから、「手伝ってあげよう」なんて考えを持てるはずがありません。あくまで「もし手伝いが必要なら教えて下さいね」です。
結果的に、自分ができたことは水を欲しがる選手に水を渡したり、試合前に気分が悪そうな選手に「大丈夫?」と声をかけるぐらいしかできません。安易に「何かできる」なんてエゴなのかもしれない。
彼らは胸を張り、戦いの場へと歩いていきます。
試合の迫力はすさまじいものです。両足が使える選手の場合、「ダン!」という踏み込みの振動がこちらにまで伝わってきます。点数をとったときの叫び声も各国様々。相手を飲み込み、自分を鼓舞する叫びに息を呑みます。
どんどん試合は進み、だんだんテーブル数が減っていきます。そして最後は金メダルマッチ。そしてセレモニーです。






たまたま見かけたセレモニーには日本の選手が銅メダルで登場していました。残念ながら君が代は流れませんでしたが、同じ日本人がメダルを授与している姿を見ると、いいようのない感情がブワッと溢れ出してきます。
団体戦では、戦いのあと、各国の選手が肩を組んで写真撮影をしていました。その姿を見ると、オリンピックやパラリンピックはナショナリズムの戦いに見えてしまいますが(ロゲ元会長の言うように現実はそうなのかもしれないですが)、「より速く、より高く、より強く、一緒に」というオリンピックのモットーにあらわれているように、高みを目指し、人間の可能性に挑むアスリートへの人間讃歌なのではないかと思うようになりました。




活動中は時間がたくさんあったので、本当にいろいろなことを感じました。会場の外で泣いている選手も見ました。多くの人が喜び合う風景もありました。ボランティアはどの国の応援もできないのですが、セレモニーのときに、無観客を吹き飛ばすような拍手を贈る人がたくさんいました。
興味本位で応募したオリンピック・パラリンピックボランティア活動でしたが、活動中に考えたいろいろなこと、活動中に見たいろいろなこと、活動中にあったいろいろなコミュニケーションを通して考えると、なにか人生が大きく変わるような経験になったのではないかという予感をひしひしと感じます。
TOKYO2020は、なんとか開催され、終了までこぎついたように思いますが、本来は東京やそれ以外の地域がお祭り騒ぎになっていたはずでした。メダリストやスタッフが東京を楽しみ、まちなかに人が溢れ、お互いを称え合う。祝福される大会だったはずなのに、それが実現できなかったのは本当に残念に思います。本当に残念だ。
次がもしもあるなら、またボランティアに参加して、「お父さん、オリンピックって何?ボランティアって何?」と聞いてくる子どもたちにオリンピックを見せてあげたい。
はやく誰でもどこにでも行けるようになってほしい。心からそう思います。
「オリンピック・パラリンピックにボランティア参加して得たものはなんですか?」
よく聞かれた質問です。僕なりの答えは以下です。
「僕を含め、誰もが完璧ではない。ただし、より高みを目指す姿には、心を打たれる」