
今年の旅はなかなか行き先が決まらなかった。候補地はヨルダン、カンクン、パプアニューギニア・・・。数ヶ月悩んでようやく決まった行き先はカンボジア。よし、今年は世界で一番人気の遺跡で朝焼けでも見に行こうか。
カンボジアへ

今年は異常だ。新型ウイルスの影響で空港内は人気が少なくがらんとしているため、所々にいる警察官がやけに目立つ。CAはみんなマスクをしていて、機内もガラガラ。金融の世界でよく言われる「卵は一つのカゴに盛るな」ってやつだろう。多分、日本の観光業は盛りすぎてしまった。

シェムリアップ空港に到着しタラップを降りると、異国の地に来たのだなと直感的にわかる熱気が体を包む。滑走路の照り返しは強いけど嫌な気分にはならない。その国の匂いを確かめながら息をして、ちょっとずつその土地の空気に慣れていくのがとても好きだ。
さすが有名世界遺産のある都市だけあって、空港はとても立派で広い。ただやっぱり人が少ない。がらがら閉店。入国管理もあっという間に終わった。

空港を出て右側すぐにSIMカードを売る店が並んでいる。電話番号付き無制限データ通信で5ドルくらい。ホテルの運転手さんおすすめはSMARTらしい。スマホを渡せば、日本語の設定画面であってもすらすら設定を済ませてくれる。
プレアヴィヒアのような山奥や遺跡の内部では、流石に電波が弱い場合があったが、ほぼ快適に使えた。ホテルやレストラン、いたるところにWi-Fiがあり、しっかりスピードが出るので、いいのかわるいのかずっとつながっていられる。
Viroth’s Hotel

ホテルはViroth’s Hotel。ここは2018年にトリップアドバイザーで世界一位の称号を手にしたホテルで、2019年度もアジアNo.1、カンボジアNo.1のホテルだという。「でもお高いんでしょう?」なんて思うことなかれ。一部屋3人なら6000円くらいに抑えられて、しかも激旨なオーダー制の朝食付き。
よく気がつくスタッフたち。鍵を預けるたびにすぐ部屋の清掃をしてくれる。必ず向こうから声をかけてくれるから「すみませーん」しなくていい。定員呼び出しボタンを押しても来ない磯丸水産と比べると天と地の差だ。磯丸も好きだけどね。
そして、誰もがにこやか。「愛嬌って大切だなぁ」としみじみ思う。

客層も上品な老夫婦ばかりで、プールサイドが混み合うと互いに席を譲り合う余裕を持った人たちばかり。腕に「起死回生」という入れ墨をほった女性は浴びるようにプールサイドでビールを飲んでいた。
建物、植木、インテリア、プールサイドと、細部まですきがない。どんなホテルでも、ところどころ工事してたり、掃除道具が置きっぱなしだったりするのをよく見かけるが、それが全くない。
荷物をおいたらアンコールワット遺跡群をまわるのに必要なチケットをチケットセンターに買いに行く。ついでに街並みも見てみよう。チケットセンターは中心街から外れた場所にあり、ここで買わないと入れないし、遺跡では売っていないそうだ。ここもがらがら。
タクシーのおじさんに聞くと、やっぱり観光客、とくに日本や中国や韓国からの旅行者が激減しているらしい。そのせいか、しきりに「ツアー連れて行くよ」「マッサージいいとこあるよ」と誘われたが、丁重に断ると、とてもがっかりしていた。まさに絵に書いたようながっかりだったので、村上春樹なら「がっかり」というタイトルをつけて額に入れて飾っただろう。
キリングフィールド

チケットセンターからの帰り道で、シェムリアップにあるキリングフィールド(虐殺の地)に立ち寄った。天気はだんだん良くなり、日陰を通り過ぎる風は涼しいが、強い日差しが埃っぽい敷地内を照らす。
今はそこにワット・トメイ寺院が建てられており、当時の歴史が絵や写真で説明されている。無数の人骨も残っており、頭蓋骨が積まれた仏堂のような建物には言葉を失った。
こういうとき、いったいどうすればいいんだろうといつも思う。答えがわからないまま、ポケットのお金を募金箱にねじ込むように入れる。
タクシーのおじさんはチケットセンターでも、キリングフィールドの入り口でもずっと僕らを待っていてくれた。最後にランチを食べるためレストランまでお願いすると、ポツリとこんな言葉を漏らした。
「あなたたちは明日ツアーに行く。私は明日仕事がない」
どんなとげとげな日でも 息してれば明日は来るんだけれど、生きるってのは本当に大変だ。
シェムリアップでの生活

初日のランチは地元の人気店「SAMBO」を選んだ。旅の練度が多少あがってきた僕たちは、安くて美味しい地元飯を見つける嗅覚が見についてきたのだろう。とはいってもトリップアドバイザーがたよりだけどね。
お店の看板娘さんは愛嬌が抜群で、無愛想の名のもとに生まれてしまった自分としては下を向くしかない。「やっぱり愛嬌だよな」とまたしみじみしてしまう。
この「愛嬌」は、この旅の所々で感じたものだ。たとえば、トゥクトゥクに乗って混み合う交差点でバイクに乗る少年と目があった。まじまじとこちらを見ていたのに、こちらがニッコリすると急に緊張感を解いたように満面の笑みを返してくれる。愛嬌はカンボジアに住む人たちが持つ国民性のひとつなのかもしれない。

そうそうレストランの話だった。カンボジアはタイ、ベトナム、ラオスに囲まれた場所のせいか、クメール料理はどこかで味わった雰囲気がある。特徴的なのは、甘いチリソース?がたいていの料理にかかっていて、全体的に甘い料理が多く、辛い料理はそんなになかった。
この国のメジャーなビールはアンコールビールとカンボジアビールだ。タイのタイガービールなど周辺国のビールや料理もレストランで楽しめる。うすくてのみやすいアジアのビールはいくらでも飲めちゃう。
その国の相場観はビールで学べる。カンボジアのビールは1ドル。スーパーだともっと安い。これまではスーパーでビールを買いだめしてプールで酒盛りが定番だったが、上品で洗練されたホテルなので申し訳なさが先立ち、ホテルのビールを飲もうと決意した。それでも3ドルで飲めるので、ビールが安い国はいい国だ。

どこに行っても1ドルと言われるこの国では、過去の影響で自国通貨の信頼が薄いため4000リエルでやっと百円になる。ガイドブックによると「ドルで払うとお釣りが来ない」というが、きちんと大量のリエルを返してくれるところばかりだった。ローカルのレストランはキャッシュのみ。アリペイやローカルペイとして普及中のPiPayのシールは見かけるが、ほとんど使えないと言っていい。
アリペイシールの貼ってるところは、今の騒ぎで大打撃なのかな。そう考えると当たり前に使えるは、急に使えないとは紙一重なのだろう。

お腹いっぱいになったら早速ホテルのプールへ。昼過ぎになると席がうまってしまうようだった。みんな本を読んだりスマホをいじったり、思い思いの過ごし方を楽しんでいるようだった。起死回生も定位置の席で酒を飲んでいる。日差しは強いけど、それほどピリピリしない。

塩水のプールは小さいけれど視界はクリア。滞在中は薄雲が覆う天気が多く、適度に火照った体も、少しぬるめのプールが何時間でも冷やしてくれる。プール内でビールも飲めるようにプラスチックのグラスも完備。
つまり、このホテルは楽園なのだ。
夜のシェムリアップ

夕食は「JOMNO」というレストランを利用。人気のレストランはオールドマーケットの南、川を超えたあたりに多く並んでいるようだ。

帰りはナイトマーケットをひやかしながらパブストリートを歩いてみる。昼間のように明るいが、換算としている。店員も少し元気がないように見える。

マーケットのそばの橋の近くでは、なにやら演奏が聞こえる。よくみると演奏者みんな足がない。カンボジアはラオスと同じく地雷がばらまかれた国だ。募金箱を手に持った人たちもパブストリート付近で何度も見かけた。
なんだかにぎやかな通りでも、細部をよく見ると違和感がたくさん見つかる。この旅の本として選んだ角田光代さんの『いつも旅のなか』にちょうどこんなフレーズがあった。
そういうことには自分自身で折り合いをつけなきゃいけないのだと、私はなんとなく理解した。つまり、物乞いに金を渡す、渡さない、彼らに対して何か思う、思わない、行為から感情まで、すべて自分なりに考え、答えを出し、それが正しかろうが間違っていようがその答えを実践していかないと、この国を旅するのは至難の業だ。そう理解したのだった。理解するとようやく、ずっと続いていた混乱も消えた。
『いつも旅のなか』 角田光代 より
連れの後輩とこの違和感や正解について話してみたが、僕たちはまだ折り合いがついていないようだ。

ここシェムリアップはバイクやトゥクトゥクが中心だ。Uberによってどこでも行けるようになった僕らは、Grabによって値段交渉すら必要なくなった。テクノロジー最高。
トゥクトゥクは歩いて十分の距離で1ドルくらい。ただ、信号もないし交通量も多いのに、クラクションがとても少ないのにびっくりしてしまう。
空港からホテルへの送迎車(Viroth’sはなんとレトロな旧型メルセデスベンツで出迎えてくれる)もそうだったが、ぜんぜんスピードを出さず、原付きぐらいの速さでのんびり進む。周りを見てもみんなスピードを出さないから、せっかちな人だとイライラしてしまうだろう。強引に左折(ここは右車線の国)するときも相手が譲ってくれる。なんてやさしい国なんだろう。

せっかくなので地元ビールが飲める「Brew Pub」に寄り道。中心街から離れた場所なのでとても静かなレストランだった。ときおり聞こえるトカゲの鳴き声をBGMに、のんびりクラフトビールを楽しむ欧米人がちらほらいた。しかも、ビールの飲み比べが3ドルだって! 最高じゃないか。
ベンメリアへ

朝食はホテルでいただく。ビュッフェ形式ではなく、くばられたメニュー表にチェックを入れて注文するすいざんまいスタイルだった。ためしにヌードルを頼んでみたけど、飲みやすいスープが体に染み込んでいく感じ。麺類がうまい国最高。
この日はツアーに参加してベンメリア遺跡とプレアヴィヒア寺院を見に行く。ベンメリアまでは一時間ちょい。プレアヴィヒアまではさらに二時間半くらいの長旅になる。
ベンメリアは比較的最近見つかった遺跡で、そこは地雷原にはドイツの力で撤去された。遺跡は修復されることなく放置されているが、もとの姿も素晴らしいだろうけど、この立派な廃墟にもなんだかわからない気高さを感じた。雨季は雨によって緑が映え、趣も変わるそうだ。




戦争や時間によってくずれてしまった遺跡はとても趣がある。もちろん修復された遺跡も壮大で美しいのだろうが、むしろ崩れている方がある意味自然であり、時間の経過、風化を直接感じ取れるように思う。

遺跡の入り口や橋のはじっこはどこもこの奇数頭のナーガが出迎えてくれる。サザンアイズや女神転生が好きな人にはたまらない国だ。
プレアヴィヒアへ

プレアヴィヒアは絶景の寺。ふもとから四駆に乗り換え、急勾配の山を登っていく。山に並ぶ神殿を進み、登っていく気分は十二宮を駆け上がる聖闘士星矢の気分。「あそこにラスボスいそう」とか「絶対あの先に宝箱ある」なんてもあり上がりながら、神殿を抜けた先には絶景がある。







プレアヴィヒアで印象に残ったのは国境だ。日本は島国なので国境を意識しにくいが、ここには明確な国境があるのだ。少し先の山にはタイの国旗がはためき、ガイドが国境付近の戦闘について説明してくれた。


なんと、プレアヴィヒア寺院手前の集落はみんな軍人とその家族らしい。目に見える線があるわけではないのに、確実になにかの境界がある。人間は線を引くのが大好きなのだろう。バカみたいな話だが、なきゃないで大変になるから。

ホテルに戻る。起死回生はプールサイドでのんびり過ごしていた。夜は人気ナンバーワンレストラン「Wild」へ。独断と偏見で語るならば意識高いレストランだった。わるくはないけど、このレベルの春巻きなら冷凍食品でも十分美味しい国に育っていた。

帰りもパブストリートあたりをふらつき、屋台に初チャレンジ! 16歳の青年がつくるクレープはいまいちだったけど、僕が日本人だとわかるとすぐに「日本食美味しいよね」と笑ってくれたから許してやろう。
アンコールワットへ

翌朝は早起きしてアンコールワットで朝日を楽しもうとした。結果的に天気が悪くてわずかな朝焼けしか見られなかったが、暗闇の中、誰もが同じ方向を見てその時を待つ雰囲気は、花火大会みたいでとてもいい。
その後、敷地内のレストランで軽い朝食。呼び込みや売り子の子どもたちの目が死んでいるのは気のせいだろうか。ここにいる人たちは旅人たちに迫り、断られるのに慣れすぎているようだった。

アンコールワットは、想像以上に大きな建造物で、シェムリアップ内はアンコールワット以上の建物を建てられないらしい。どおりで空が広い街なわけだ。




何重にも巡った回廊には細かな彫刻が掘られており、ヒンドゥー教の天地創造神話「乳海攪拌(にゅうかいかくはん)」などの物語を絵で読める。
アンコールトムへ

巨大な人面像で有名なアンコールトムは、ダンジョンのような遺跡に興奮した。これ絶対すごいアイテム手に入るはずやで。


建物内は迷宮のようになっていて、戦争では砦として使われたりもしたそうだ。
タ・プロームへ

タ・プロームは映画『トゥームレイダー』の撮影が行われた場所。ガジュマルに侵食された遺跡は、ベンメリアとは違った趣がある。人気の撮影スポットは人だかり!この旅で一番混み合っている場所だった。






どの遺跡にも廃墟としての気品が満ち溢れていた。壮大な敷地内にそびえ立つ当時の遺跡を妄想するのもいいが、今という現実を受け止め、なぜそうなってしまったのかを想像しながら見て回るのも悪くない。
なんにもしないをする
ツアーが昼前に終わったのでランチを食べた。肉炒めご飯付きの「ロックラック」という料理にスムージをつけて5ドルに収まる。

お腹が一杯になれば、プールで昼寝をする。起死回生の席には違う人が座っていた。
僕はここに来てビールばかり飲んでいたが、目が覚めると体がだるい。熱中症のような症状だったので、たくさん水を飲んではやめに休んだ。この年になってビールは水分補給ではないと学んだ。
翌日、すっかり元気になった僕は、友達が買ってくれたポカリを飲み干し朝食もたくさん食べた。ポカリ最高。

ランチのロックラックについてきた胡椒にライムを絞った調味料が酢胡椒みたいですごく美味しい。きっと、餃子の王将が進出すれば天下を取れるだろう。ここカンボジアは胡椒の生産が世界一らしく、お土産コーナーにもたくさん並んでいる。
これまでの度は3泊6日が多かったが、今回は4泊にして最終日のこの日は「何もしないデー」と定め、少しの買い物とランチ以外はみんなプールサイドでのんびり過ごした。

お土産はスーパーで買い占める。有名所は胡椒(世界一の生産国らしい)、お茶、ドライフルーツあたり。
旅のおわりへ

今回の荷物はこれだけ。だいぶ小回りが効くようになったと思う。
旅行の行程はこのようになった。
- 初日
- 00:05 羽田出発
- AM到着
- アンコールパスを買いに行く
- 二日目
- 三日目
- 四日目
- なにもしないデー
- 最終日
- 08:30 シェムリアップ発
- 22:15 羽田到着
ツアーには現地の日本語ガイドが最高だけど、今回はちょっと品がない人が多かった気がする。変な日本語を教えるバカがいるみたいだ。恥を知れ。
最終日は前日深夜に出発したかったが便がなかったため日中を飛行機で潰してしまった。
今回の旅本・旅映画はこちら。
- 『いつも旅のなか』 角田光代 ・・・ 角田さんとは友だちになれそう
- 『地球の歩き方 カンボジア』・・・ チラ読み
- 『カンボジアを知るための62章』・・・定番。これを読むと読まないでは旅の染み込み方が違う
- 『LION /ライオン 25年目のただいま』・・・子供の話は涙が止まらん
- 『ハクソー・リッジ』・・・ 本当は子供のころ学校で見た『キリングフィールド』を見たかった
最後に、この旅の旅本であった『いつも旅のなか』からこの言葉を残しておきたい。著者がベトナムで知り合ったタクシー運転手からの手紙の一部だ。このタクシー運転手はベトナム戦争を経験している。
いつも通りの毎日──ぼくにとってそれは、知らない人を車のうしろに乗せて、町をぐるぐる、ぐるぐるまわる仕事だ。ただそれだけだ。どこにもいけないし、どこにも帰れない、ただ同じところをまわっているだけ。でも、だからなんだ? とぼくは思うんだ。人生はフェアだ。どこまでもフェアで、そしてこれが、ぼくに与えられた日々なんだ。
『いつも旅のなか』 角田光代 より
この旅で一番考えたのは「折り合い」だった。なにか未知のものであり、なにか手に届くものでもあり、意外と身近なものとの折り合い。次の旅までに僕の中で何かの折り合いがつくのだろうか。
どこにも行けないことがわかったとしても「だからなんだ?」と言えるようになるのだろうか。
人生は本当にフェアなのだろうか。
次はどこにいこうか。