たまたま最近「XXの普及活動を仕事でしています」というのを聞いて、10年ぐらい前に「普及活動や啓蒙活動なんてしないぞ!」と固い決意をしたのを思い出した。
「やる」か「やらない」を選ぶのはあなただ
僕の場合は、アジャイル開発であったり、最近だとテストの自動化だったり、「なんだかとっても広めたくなっちゃう活動」に関わることが多い。
今でもアジャイルコーチと名乗り、チームを支援する活動をしているが、それは相手がアジャイル開発を求めている状況だからであって、選択肢を提供することはあれど、選択するのは相手だ。
そこには「普及活動してみんながアジャイルに」とか「啓蒙活動によってテストが当たり前に」なんていう感覚はない。
「やる」か「やらない」でしかないのだ。
広げることが常に良いとは限らない
いい活動は、誰かにとってのいい活動だとは限らない。今の時代、いろんな方法があっていいはずだから、自分たちで考えてベストだと思う選択を繰り返していけばいい。
一度、宇多田ヒカルの『誰かの願いが叶うころ』の聞いてみるといいかもしれない。
成功の横展開を強制されて疲弊する現場を見たことがある。横展開はとても魅力的にうつるかもしれないが、どこでもうまく方法なんてない。
よく考えてみてほしい。世の中には「Googleはこうしている」「Facebookはああしている」という情報がたくさんあり、それを神の言葉のようにありがたがる人もいる。
じゃぁ、それを真似てうまくいった企業はいったいいくつあるんだい?
仕事にしにくい
啓蒙活動のゴールは尊い。しかし、「期限のない仕事は趣味だ」と言われることもあるように、仕事である限り期限が必要になってくるし、成果も測り、評価もしなければならない。
啓蒙や普及はそういった設定がしにくいし、なかなか成果が出ない部分もあるから、啓蒙だけを仕事にしたくないし、メンバーにもさせたくない。
「成果は出てないけど、よくがんばっている」なんて声をかけたくないから、もっと別の成果が出る方法を議論するか、自然と仕組みになるような方法を選ぶと思う。
一生、あなたは啓蒙し続けるのか?
組織の悩みを聞いているときに「啓蒙していく必要がある」という話がでてきたらいつもこう質問する。
その啓蒙とやらを、あなたは死ぬまでやりたいと思いますか?
大抵の人の答えは「No」だ。
誤解を恐れずに書くと、たとえばアジャイル開発の価値をわからない人にその価値を伝え「続けた」り、テストの価値がわからない人にその価値を伝え「続けた」り、その労力は途方も無いのだ。本当に途方も無い。
けれど、人間はそんなに簡単に変わらないわけで、もしかしたら一生変わらない場合もあるわけで、自分の人生の貴重な時間を「そんな人達にずっと使い続けたいのか?」と一度考えたほうがいい。
その結果、「それでもやる」という覚悟があるなら、そのためのアクションを一緒に考えればいい。でも、迷いがあるならもっと別の方法を考えたほうがいい。
ゴールに向かう方法はたくさんある。
広める活動をする前にやるべきこと
最後に、「普及活動や啓蒙活動に意味がない」というわけではない。これらの活動はコツコツ積み上げていくしかなく、その結果、文化という形がないがとても大切なモノが生まれたりする。
それは大切な活動だと思うが、それ自身が目的になるとおかしくなりやすいから、気をつけたほうがいいと思う。
僕が開発チームに参加するときは(プロダクトによるかもしれないけど)、アジャイル開発に取り組みだろうし、テストもきちんと書くようにするだろう。なぜなら、そうしたほうがいいと経験で理解しているからだ。
そして、開発を成功させる。
広まるはあくまで結果の結果でしかないのだ。まず成功させなければならない。