20年ぶりに道後温泉に入ってきた

ばあちゃんが旅立ったので愛媛にいる。横浜は秋の空気になりつつあったのに、こちらは30度を超える夏日が続いていた。帰りの日、搭乗まで時間があったので、道後温泉に入ってきた。入るのはたぶん23年ぶり。修学旅行をサボって旅をしようと思ったあのとき依頼だ。

愛媛への旅

たぶん高校2年か3年のとき。修学旅行に行く気になれなくて、バイトで貯めたお金を使って旅をしようと思った。どこにいくか悩んだけど、とりあえずじいちゃん、ばあちゃんのいる四国方面を目指してみる。僕の家系は、西の方に人がたくさんいる。

当時の僕は「学校に連絡入れておけばばれないやろ」と思ったのだが、担任が家に電話して「どこに行った?」と騒ぎになり、当時遊んでいたRBGツクールのシナリオが書かれたノートを読まれ、悪の帝王にうちのめされる勇者のセリフを読まれ、遺書と間違われ「息子が自殺する!」とかさらに騒ぎになったらしい。

そんなこと知る由もなく西へと向かう。

たしか瀬戸大橋を電車で通った記憶がある。いざ橋を渡るときに、パーっと視界がひらけ、美しい瀬戸内の島々がキラキラと輝いていたのが、今でも鮮明に覚えている。たしか、ちょうどジャストタイミングで流れた音楽(たぶん、当時はウォークマンだったのだろう)が、スピッツの「空も飛べるはず」だったのも覚えている。

ばあちゃんちは昔「御荘」と呼ばれていた地域で、松山から車で2時間かかる。昔は高速道路がなかったので、延々と海沿いのぐねぐねした道を走らなければならず、とても遠い場所だった。

さすがに1日で行くのは、当時の僕には無理で、夕方はやくについてビジネスホテルに荷物を置いて(よくよく考えれば未成年の僕をよく泊めてくれたなぁ)、道後温泉に行ってみることにした。ばあちゃん家にいくといえば道後温泉のイメージが根強い。

記憶を頼りに温泉へと向かう。服を脱いで「どこからお風呂に入るのだろう?」と近くのドアを開けると、お風呂ではなく普通の道になっていて、外国の方に「ソコハチガウヨ!」と注意され、日本人として恥ずかしかった。

ようやく正しい扉を教えてもらい風呂に入ったが、(本当に申し訳ないが)道後温泉は建物の風情が強すぎて、中の風呂のギャップが激しい。薄暗い石造りのお風呂は、想像していた檜風呂とかとは違い、ゴージャスでもファンタスティックでもなかった。

そして、謎に深いので、ゆっくり方までつかれず中腰になる。さらに、当時、小僧であった僕には温泉の楽しみかたを知るわけでもなく、すぐに熱くなってでてしまった。

旅の楽しみ方を知らない僕にとっては、それぞれの思い出はそれほど楽しいわけではなく、ただ新鮮だった。「ああ、一人なのだな」というドキドキと、寂しさの間でゆらゆら浮かんでいるようだった。

翌日、電車に乗り、バスに乗り、記憶を頼りにばあちゃんの家を目指す。チャイムを鳴らしても誰も出てこないので、扉を開けて「こんにちはー」と声をかけるとばあちゃんがでてきた。

しかし、成長した僕が誰かわからなかったらしく、「誰ですか! 入らないでください!」と怒られてしまった。弁解のために「オレオレ」と言っても通じなかったので、なかなかしっかりしたばあちゃんだったのだろう。

なんとか思い出してもらい、ばあちゃんの家で数日過ごすことになった。僕の発見は直ちに実家へと通報され、「しばらくそこでゆっくりしておいで」と、過去最大レベルの優しい声に動揺をかくせなかった(家で騒動を知ったのはあとのことである)。

あのときは何をして過ごしたっけ。

河口をぶらぶら歩いたり(御荘には大きな川が流れてすぐ海につながっている)、ばあちゃんと買い物に行ったり。毎日3食牡蠣がでてきたので、実家に返ってから数年は牡蠣を食べたいと思えなくなった気がする。

じいちゃんとばあちゃんしかいない家ですごす毎日は、とてもスローな時間がながれていて、不思議な感じだった。

ひさしぶりに道後温泉に入りながら、そんな昔のことを思い出した。

道後温泉は2階を工事中で、入り口も封鎖され別の入口になっていた。幸いながら僕が間違えてあけた扉は「ここはお風呂じゃありません。開けないでください」と張り紙されながらも健在で、お相変わらずお風呂は地味で深い。

でも、今回はとてもいい湯だった。風呂上がりの地ビール+じゃこ天も最高じゃないか。なんだこれは。

じいちゃんはだいぶ前に旅に出てしまい(そのときの旅もブログに残している)、ばあちゃんも同じく旅立っていった。

ちょっと前のばあちゃんは、僕のことを親父と間違えるようになり、最後はきっと僕を覚えていなかっただろう。

葬儀の帰りにひさしぶりにじいちゃんのお墓に行ったが、お墓って忘れないためにあるんだろうなぁとしみじみ思った。最近では都心に住む人が多く、お墓参りも縁遠くなる人が増え、墓をやめる人も多いそうだ。

忘れられるのは本当に寂しい。

だから、今回はばあちゃんの近くで最後に過ごし、お墓なんてなくても忘れないようにしようと思った。「元気だったときの姿を覚えていたい」と言って、死に顔をみなかった親父の気持ちもよくわかる。

最後の扉が閉まるとき。それはとても寂しい瞬間だった。本当に寂しい。そしてこういう気持ちになるとすぐに、「強く生きていかなあかんなぁ」と毎回思うのだ。

さようなら、ばあちゃん。またな。