チャレンジは歓迎するけど失敗を歓迎するのは難しい問題

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少し前にエンジニアリングマネージャを辞めた経験があるのだが、そのあとは何かと気を使われる雰囲気を感じて居心地が悪かった。そのほとんどは心優しき人たちの思いやりだろうから「ありがたし!」なのだが、それとは別に、「チャレンジに失敗して居心地悪いって、裏を返せば、失敗がゆるされる環境じゃなかったのかもな」と、ふと思った。

失敗を歓迎する文化づくり

失敗には学びが多い。それと同時に、心理的に疲れる部分もある。もちろん自己責任の範囲も広いだろうが、周りを見わたしたた感じだと、「誰かだけの問題」というケースは少ないんじゃないかな。

自分がチームを育てていたときも「どんどんチャレンジして、どんどん失敗して学ぼう」と話していたが、「僕は」チャレンジも失敗も認める意識があったけど、「どれくらいのメンバーに」同じ意識があったか? 自信がなくなってきた。

これはメンバーの問題というより、マネージャとしての僕の問題で、「チャレンジ歓迎!」というありきたりの擦り切れた言葉だけしか伝えず、一人ひとりにその意味や意義をもっと伝えられたのではないかと、ふりかえれば思う。

「失敗しても大丈夫」ともっともっと言えばよかった。

さらに、失敗が許される、歓迎される文化や環境も必要だろう。

変な雰囲気にならないように、チャレンジの意味や意義を浸透させ、協力者が自然に増える仕組みを考えるとか、失敗を学びに変換するための意味あるふりかえりを主催するとか、やれることがたくさんあったな。。。

そして、自分のチームだけでなく、周囲のチームにもこの文化を広げる。なぜなら、心悪しき人はいつも自分たちのことより「アイツら」に夢中だから。

最近、自分が聞いてきたのは「ほらだめだった」とか「ほらできてない」といった言葉ばかりで、誰かのせいにするつもりはサラサラないが、明日は我が身。そうならないような文化づくりをしなきゃね。