偉大なるメコン川を見に、ラオスに行ってきました。ミャンマーと同じ匂いのする古き良きアジアの国ラオス。なんにもないんだけど、また訪れてみたくなる国でした。
マリナンプホテル
ビエンチャンに到着したのが夕方だったので、ナンプ広場近くにあるマリナムプー ホテル (Malinamphu Hotel)にチェックイン。
場所的にどこに行くにも便利な距離です。ホテルではタクシーサービスもしているので、前日予約しておけば、空港にもすぐ行けちゃう。空港から15分でダウンタウンに来れるのもラオスの魅力です。
ホテルの入口は狭いですが、そこを抜けると広い中庭が広がっています。朝食はここで楽しめますが、動きのすげー速い蚊がたくさんいるので、写真のおじさまのような余裕はなし。でも、雰囲気はいいですね。
誰も利用してませんでしたが、2階にプールもあります。10月のビエンチャンは日中とても暑く、日陰や夕方や涼しいです。
シングルルームはこんな感じ。シャワーはぬるいお湯ですが、清潔的なので快適です。歯ブラシなどのアメニティもそろっていました。助かる。
2階にホテルがあり、誰かがいるとうるさそうなので、1Fやプールから離れた場所をリクエストしておくと良さそうです。
夕食を食べに川沿いのナイトマーケットに移動。大盛況です。ただ、偽物のピカチューやブランド品が並んでいるようだったので、買い物する場所ではなさそう。
堤防を越えて川の麓に近づくと、区画整理されたエリアがあります。まだがらがらですが、屋台も並んでいるので、食事をするならここがいいかもしれません。
ルアンパバーンへ
翌日、国内線を使って世界遺産の街 ルアンパバーンに移動します。ルアンパバーンは古い王朝があったばしょで、上記のように、川の中州のような地域に貴重な建物が密集しています。
ラオスは空港からのタクシーはタクシーチケットを買うスタイルなので、ぼったくりや呼び込みは怖くない! 町の入口でおろしてもらい、近くにあった UXOLAO Visitor Center に行きました。
噂では聞いていましたが、ラオスはベトナム戦争時にたくさんの爆弾が投下された国です。戦争の悲惨さを感じるとともに、まだ自由に森の中を歩けないという現実が目の前にあります。
街を歩いていていたるところで見かけたのが、ボールを投げて遊ぶペタンクです。公園のようにこの競技場があるので、市民の憩いの場なんだろうなぁ。
ルアンパバーンの大通りは、とても整備されています。両サイドには、フランス植民地のなごりでしょうか、とてもおしゃれな低い建物が多く、空が広くて気持ちいい。街歩きをするには最高の場所。ですが、日中はとても暑くて、脱水症に気をつけないと。
町の中央にあるのが博物館になっているロイアルパレス。カバンとカメラをロッカーに預けて中に入ります。さすが王宮だっただけあり、ゴージャスな内装になっていました。
建物はタイ付近と似た構造ですね。壁には細かい細工がされていて、カラフルに彩られています。これまでもたくさんの寺院を見ましたが、何回見ても「すごいなぁ」と感じますね。
ロイアルパレス前にある寺院。内部の壁画や光の差し込む雰囲気がとても良かった。あんまり人が訪れる場所ではなかったので、静かにこの風景を楽しめました。多分、僕には廃墟が好きな傾向があるかもしれない。
ロイアルパレス前にはルアンババーンを一望できる「プーシーの丘」があります。道が龍のレリーフになっているので、ドラゴンボールで界王様のところに行く気分です。道は険しいけど。
おそらく、仏教的な物語を描いた像ですかね。これ以外にも丘にはいくつかの像が置かれていました。
丘からメコン川を見下ろします。とにかく暑い。そしてなによりも、緑が本当に多い国です。緑が街と一体化していて、日陰が市民の憩いの場となっています。
メコン川に近づいてみましたが、濁っているけど、すごい匂いがするわけではありません。山岳地帯に住む人たちにとって、魚が貴重なタンパク源になっているそうで、豊穣の川ですね。
ルアンババーンのシンボルとも言えるワット・シェントーン。それほど大きい建物ではありませんが、やっぱりデザインがすごく美しいですね。
炎天下をあるき続けるのはしんどいので、疲れたらところどころにあるカフェで休憩しました。せっかくなので川沿いの静かなカフェがいいですね。
ルアンババーンには昼頃から夕方までいましたが、その間にカフェ3件に入り、メコン川を眺めながら読書という優雅な時間を過ごせました。お値段もコーヒーが20000キープ(250円ぐらい)で、建物もこじんまりして居心地がいいです。つい長居してしまいます。
ラオスでは、空港から街まではタクシーチケットで動けます。ただ、空港へのアクセスは自分でなんとかしなければならず、トゥクトゥクを毎回利用していました。
ラオスは、観光事業が成熟したタイなどとはちがって、交渉もなめらかでやさしい。たとえば、「空港までいくら?」と聞くと、「うーん・・・20ぐらいでどう?(20とは20,000キープのこと)」と正直な人柄を感じる場面が多かったです。
空港はこじんまりしていて、国内線はプロペラ機だったりしますが、空港内施設はトイレも清潔で居心地もいいです。おみやげコーナーやちいさいコンビニのようなショップもあります。
ビエンチャン
最終日はビエンチャンに戻ってきて街歩き。夜の便で日本に帰ります。まず立ち寄ったのが、ビエンチャンの真ん中にあるお寺「ワット・シーサケット」。回廊が周囲を囲んでおり、たくさんの仏像が並んでいます。
結婚式と見られるカップルが写真撮影していたので、地元でも愛されている場所なのでしょう。
続いて向かったのが、「コープビジターセンター」。この旅で一番多くを感じた場所になりました。
ここはクラスター爆弾などで今も苦しんでいるラオスの現実を伝える場所です。クラスター爆弾。名前は知っていたけど、ここまでひどいものだったとは。言葉を失います。
爆弾の中の小さな爆弾(クラスター)が、今も地中に眠り、市民の生活を脅かしています。たしか、クラスター爆弾は毒ガスと同じく、世界的に利用をしない方向になっていたはずです。
募金も義足。
来場者ノートにも義手が。
こういう場所に来ると、「僕は何をすればいいんだろう」と考えてしまいます。たしか前にこの気持ちを感じたのは、インドで娘と同じぐらいの子が物乞いしていたときだったな。何をすればいいんだろう。
昼食は近くのフードコートへ。そこは立派なショッピングモールで、モールの前には屋台が並んでおり、とても賑わっていました。となりにはもっと大きなモールが建設中だったので、街の風景はどんどん変わっているのでしょう。
「Jieb’s Kitchen」で食べました。とても美味しいポークライスでした。ご飯がタイ米よりねっちりしているので(たしかラオスの主食はもち米)、日本人でも食べやすそうです。
ショッピングセンターにはスマホショップもありました。ラオスはインフレの影響か、1000キープ単位が主流です。最新スマホだと500万キープ(5万円強)とか書かれているので、値段の感覚が難しいですね。ちないに車だと20億キープとか書かれてました。
お腹いっぱいになったので、トゥクトゥクをつかまえてタート・ルアンへ。ダウンタウンエリアからだと30,000キープぐらいで運んでくれます。
ここはお祭りがとても有名らしく、広々とした敷地の中心に輝く仏塔を見ると、不思議な感覚になります。
タート・ルアンの右奥にはVat that Khaoがあります。涅槃像は見ているだけで心が落ち着きますね。いい天気だととても気持ちよさそうに見えます。
タート・ルアンをぐるりとまわり、ちょっとカフェで休憩した後にパトゥーサイ (勝利の門) へと向かいます。フランス植民地だった影響を直接的に感じる場所ですね。もちろんモチーフは凱旋門です。
パトゥーサイの上からタート・ルアン側を望む。
ビエンチャン中心部を望む。
ぶらりと立ち寄ったマーケットでは、狭い通路にたくさんの商品が並んでいました。ドン・キホーテ感がすごくて、店じまいするときに片付けるの大変そう・・・なんて心配が。
繁華街に戻ってくるときに見つけたタートダム。この苔むす雰囲気がとてもいいですね。これがまちなかのラウンドアバウトに突然現れます。
最後はメコン川を太陽に向かって限界まで歩いてみました。疲れたらトゥクトゥクをつかまえて空港へ。2泊4日でたくさん歩く旅となりました。
旅の終わり
両替は2泊4日の行程で一万円を73万キープにして乗り切れました。カードはとあるカフェで一回しか使えず。でも、JCB使えるところは多かったですね。
今回の旅本はこちら。村上春樹さんの旅行記は初めて読んだけど、相変わらずのユーモアで面白いですね。
『オン・ザ・ロード』はこれで人生が変わるとは思わなかったけど、多分当時はすごかったのだろうなぁ。
ラオスは海に面していない国です。だから、ビーチを旅歩きたい自分には、あんまり好きになれないかもしれないと感じていました。
でも、ラオスの人たちはとてもゆっくりで、雰囲気が優しい。だから、こちらも焦る必要がなく、交渉も勝ち負けではないものだった。雰囲気はアユタヤに行ったときや、ミャンマーの田舎に行ったときに似ていました。ばあちゃんちに着いたときの感覚。
物価が安いので、シングルルームであれば2千円ぐらいで十分なところに泊まれるし、500円ぐらいでお腹いっぱいになるし、ビールも安い。味付けも日本人が好きそうなので、長期間のんびりするにはいい場所です。
あえていえば、ルアンババーンには世界遺産の美しい街並みがあるけど、首都ビエンチャンにはそれほど有名な場所がない。確かにここは日本とは違うけど、大きく違うものがない。
ないものが多いけど、なんかまたきたくなるような国でした。