
昔、IT業界系の雑誌からインタビューを依頼されたことがありました。たしか、Redmine事例の話だったような。インタビューのときに、僕は事例の話をし、自分なりの考えを説明させてもらったのですが、記者の方はいまいちご不満な様子。その理由を聞いてみると、とんでもないことを言われました。
事実はつまらない
インタビューは比較的スムーズでした。導入のきっかけやその効果や感想など。ほぼ、以下の記事に書いた内容が回答でした。
//daipresents.com/2011/redmine%E3%81%AE%E4%BD%BF%E3%81%84%E6%96%B9%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%A9%A6%E8%A1%8C%E9%8C%AF%E8%AA%A4%E3%81%97%E3%81%9F10%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8/
で、僕のRedmineの話は、以下の記事でも書いたんですが、最終的にふせんや模造紙を使うようになり「ツールを使わなくなった」で終わります。
//daipresents.com/2012/%E6%95%B0%E5%8D%83%E4%BA%BA%E3%81%8C%E5%88%A9%E7%94%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E6%A5%BD%E5%A4%A9redmine%E3%81%AE%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%81%A8%E6%9C%AA%E6%9D%A5-47redmine/
すると、記者からこんな質問をもらいました。
「それでもRedmineを使うのをオススメしたいんですよね?」
「Redmine導入は成功ですよね?」
「Redmineはアジャイル開発に役立ちますよね?」
なんだか、答えを誘導されているようだったので、すべての質問に「そんなことないです」と答えていると、記者はだんだん不満気な顔つきになってきたというわけです。
おそらく、記者の人にとっては、当時流行ってた(とはいってもブームが来てから数年後と一足おそかったけど)Redmineの活用事例を集めて、まだ使ってないユーザや、今後活用していきたいユーザに役立つ記事を書きたかったのだと思います。
しかし、おそらく当時日本最大規模のRedmineを管理している人間から「もう使ってない」と言われるとは思わなかったのかもしれません。
記者の望み
「いやいや、それでも・・・」みたいなやりとりが続いたので、僕はこんな話をしました。
例えば、アジャイル開発は小さな職能横断チームを作らなければならないわけで、Redmine使ったから「はい、うまくいきました。おしまい」みたいにはならないわけです。それに、インタビューが掲載される雑誌の読者層は、SIerが多いみたいですから、契約などの壁もありさらに実践は難しいでしょう。そんな人たちが誤解する内容を話すことはできません。
すると記者はこう答えました。
たしかにおっしゃるとおりです。しかし、我々は読者に響く記事を書かなければならないのです。聞こえがいい話になるかもしれませんが、それを求めているのも読者なのです。
結局、このインタビューで話した内容は、ほとんど記事になりませんでした。
誰かを喜ばせる記事を書くということ
僕も一端のブロガーなので、記事についてはいろいろ考えて書くようにしています。誰かを傷つけないように考えたりもしますし、それでも自分の考えを書くと誰かが傷つくかもしれないと悩んだりもします。
釣りとよばれる記事や、炎上を狙った記事は書きたくないなと思っています(これまでに無意識に書いているかもしれませんが、そうだとしたらそれは僕の間違いです)。なぜなら、自分の書きたいことではないし、不誠実に感じるからです。
これは趣味でやってるブログだから言えることかもしれません。仕事で書いている人にとっては、誰かを意識せざるを得ませんから。こういったジャーナリズム的なことは、専門家ではないので詳しくは書けませんが、「読者が求めてるから」という意見の裏には、売れれば何でもOKという、その人のエゴや自己肯定が隠れているのかもしれない。
こういった経験をしてから、僕は雑誌の記事をうかつに信用しなくなりました。