物語は主人公たちが大学に入学したところから始まる。歓迎会、サークル活動・・・、想像していた大学生活が始まるのだが、ある飲み会に現れた「西嶋」の一言により、青春時代が色濃く現実的になる。
その気になればね、砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ
砂漠という世界を眺めることができる学生時代というオアシス。彼らは砂漠へとどう旅立っていくのか?喪失からの友情を描いた、伊坂幸太郎さんの世界を堪能できる小説「砂漠」。
世の中に本気で憤っている西嶋は、「助けなきゃと思ったら助ければいい」と、普段誰もが抵抗を感じることを、抵抗なくおこなう人間だ。
今、目の前で泣いている人を救えない人間がね、明日、世界を救えるわけがないんですよ
彼の判断には迷いがなくて、世界のどこかで戦争がおこっていても、TVをみながら「かわいそう」と思ったり、アメリカが中東に理由もあいまいだけど軍を派遣して、自衛隊まで行くことになっても、TVをみて「ふーん、そうなんだ」といったりしない。
僕も西嶋まではいかないけど、世の中の矛盾とか大嫌いで、よく友達に「いつも怒ってる」と言われたりしていた。ただ、保健所で処分されそうな犬を引き取り、「この犬どうしよう?」と悩んだりできるほど、純粋ではない。
この小説では「世界」を「砂漠」と呼んでいて、砂漠に雪を降らせようと必死になっている西嶋に影響されてか、ごく一般的だった「僕」やその友人たちが変わっていく。
きっと誰もが「砂漠に雪を降らせる」ことをあきらめきれなかったのだと思う。だって、「僕らにできないことがたくさんある」という現実を口に出すより、「できないことなどない」といったほうが、よっぽどハッピーで夢があるじゃないか。
西嶋は、三島由紀夫さんの自決についてこう述べていた。
でもね、もっと驚かないといけないのはね、一人の人間が、本気で伝えたいことも伝わらない、っていうこの事実ですよ。
僕は事件をリアルにしらないので、自分で調べた範囲内になってしまうのだが、死を決意した人間に「うるさい」、「帰れ」と罵声をあびせる自衛隊員がとても印象的だった。「静かにしろ」と叫ぶ三島さんがなんだかとても悲しくて、それでも信じようとしてい姿が、なぜか簡単に想像できたように思う。
しかし、彼の思いは伝わらなかった。
僕は今、砂漠のど真ん中近くにいるように思っているんだけど、のどがカラカラで毎日大変な目にあっている。しかし、そこで倒れて砂になるよりは、そこを緑の楽園に変えることを考えようとしている。だって、そっちのほうがかっこいいじゃないか。
「ゴールデン・スランバー」の後にこれを読んで感じたのだけれど、青春とかいう時代にえた友達の話ってとてもいい。「砂漠」は過去で、「ゴールデン・スランバー」は、登場人物は違えど未来を感じた。
「砂漠」のあとに、ゴールデン・スランバーを読んでも、違った楽しみができた気がする。
最後に、ちょっと関係ないかもしれないが、サン=テグジュペリの引用が多々でてくるのがとてもよかった。「人間の土地」をもう一度読み返してみようかな。だってこんなこといわれて、熱くならないなんてもったいないじゃないか。
人間にとって最大のぜいたくとは、人間関係における贅沢のことである
たしかに。僕も友達にはとても恵まれた。
なんてこともあるんだって。