どうして人間は自分と異なるやり方や考え方を排除しようとするのだろう。
それは、優しさが欠落しているからだ。
(宮本輝 血脈の火 より)
人間というものは愚かなものだ。何度も同じことを繰り返していく。
「こうすればいい」と言うだけの人間。
「こうじゃなきゃおかしい」というだけの人間。
何も言わない人間。
自分より馬鹿な人間がいるのは大いに結構なことだが、とても悲しいことだ。
親父にこんなことを言われたことがある。
「決して背伸びをするな」
人間は無理をする生き物だ。その無理でなんとかなることがとても多いかもしれないが、
無理をすることに慣れてしまうと、限界の境目があいまいになり、自分のキャパを超えて
何かができるような錯覚を起こす。
僕はこれが「個人的なわがまま」に発展するのではないかと考えている。
いわゆるヒステリー。みっともないよね。
だめなものはだめといい、疲れたら助けてというのも大切なことだと思う。
僕は声が小さくて聞こえない人間に何かを言われても、何も言っていないのと一緒だと思う。
何を言わない人間を、最悪だと思う。
沈黙は罪悪だ。
逆に、おもったことしか言わない人間を無知だと思う。
言って終わる人間を、傲慢だと思う。
ほんとうに疲れることばっかり。
なぜに皆は幸せになろうとしないのだろう。
思ったとしても、なぜに個人の範疇の幸せで満足するのだろう。
社会で生きること自体集団行動のはずなのに、なぜなのだろう。
いっつもタバコをすいながらそんなことを考えてしまう。
昨日と違う自分でありたいから、考え、悩む。
それをあきらめてしまえば、二足歩行する猿と同じだとさえ思う。
これは厳しく自分を戒めているわけではない。
人間の可能性をもっと信じているからだ。
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風邪引いて手を抜いて働くことすらできやしない。
こんなくだらない毎日に乾杯。
あーやるきでねーずら。やりがいがないと疲れるねこりゃ。