中学の修学旅行で萩にいった。おそらく、広島以上西へはいったことがないので、
この旅行によって、本州の最西端の山口県まで制覇することになる。
そこで体験したのが「萩焼」の体験コーナー。
こねた土から好きなものをつくっていいと言う、夢のような企画である。
とはいっても、「ろくろ」で映画「ゴースト」のように作るのではない。
土をガーン。と渡される。
以上。
後は作る。
さーて何作ろうかな? と考えている矢先、先生からこんな注意が。
「え?と、あんまり薄く作ると割れるからきをつけろ?
あと、焼くと少し薄くなるから少し厚めにつくるのがコツだからな?」
そうなのか!割れるのか!
そういえばテレビで陶芸家がそんなこと言っていた気がする。
焼くと薄くなるというのは意外だな。
パンみたいに膨らむもんだとばかり考えていたぞ。。。
中学生でありながら、僕の中では様々な憶測が飛び交っていた。
まてよ。
割れるということは、生徒の中には作ったものが自分の下に戻らない
ということがありうる、と言うことではないだろうか。
つまり、みんなの思い出が届くと同時に、
絶望にうちひしがれる青少年が生まれるということではないだろうか。
それだけは嫌だ。
「お父さんの修学旅行で作った湯のみは割れたんだぞ(笑)!」
笑えない。。。
久々に冗談にできないことが起きた気がした。
土をこねながら様々な創造を膨らませる。
よーし、湯のみ作ってお茶飲むぞ!
僕は必死になって、湯飲みを作った。
何もなかったように月日は流れ、中学生の僕らはいつものように
学生と言う生活を過ごしていた。
その日常に嵐が吹き荒れることに、、、
思い出が到着した。
「割れる」ということがこれほどまでに、むごいことだったとは。
中学生の僕にとって衝撃だった。
しかし、それをネタに騒ぐ連中もいる。
つ、強いな。
僕の中では、「修学旅行=思い出の中の思い出」といったものが
当時芽生えており、まだそれを笑いに変化させる器用さは身につけて
いなかった。
自分の作品が手元に届いた。
見て絶句。

作品
厚さがものすごい。
口に当ててみると、板を口に挟むように厚い。
家に帰って、水を入れてみる。
飲んでみようとしたが
飲みにくい。
久々に負けた気がした。
くっそー、「薄くなる」「割れる」なんて聞いたから思わず。。。
少年ダイは
「大人の言うことは鵜呑み(ゆのみ)にしない」
ということを知る。
今は実家で「つまようじたて」としても使われていないことを
誰も知ることはないのであった。
人生という名の行事、修学旅行
(Life Card風に)