あきらめかけた自分を忘れないように。僕たちは追う者なのです。
追う者
雨が降り始めた。
明日はどうも雨のようだ。風で痛めたのどを無視してタバコを吸う。
メンソールとはいえ、のどへ独特の不快感がはいりこみ、肺をうるおしていく。
これは5月21日深夜のこと。明日、といってももう1時間で日が変わる。
いよいよ試験の合格発表だ。
半年以上にわたって、勉強してきたのだが、「国家試験」というのは初めての体験。
フリーターのぼくにはすべてが手探りだった。
資格というものはなんだったのか?この半年間で考えかたがかわり、あることがわかった。
「人生を保証してくれる資格なんてない」
じゃあなぜ、10年後使われているかわからない技術を勉強するのか?
世の中には誤解している人が多いが、国家試験はかんたんではない。
受けてみてつくづくわかった。国家試験はとても難しい。
BBSでよくみかけるが「かんたんだった」とかいうひとは何とくらべていっているのだろうか?
よくわからない。試験というものを誤解している?もしくは理解していないのではないだろうか?
勉強が得意な人なら、試験なんて簡単なのだろう。
しかし、国家試験などは、受験のときの試験とは違う。
一人が受かれば一人が落ちる(たとえは悪いが)試験ではない。
実力を確かめる「実技試験」のようなものなのだ。
テストに受かるための勉強は、実力につながらなければならない。
ただ点を取ればいいのではない。
試験は自分との戦いだった。実力を感じ、それをぶつけようとおもって挑んだのだが、
結果は甘いものではない。ぼくは「あきらめ」かけた。
その中で思ったのは、費やした時間の長さと、周りの人達の応援である。
試験前の日にも、たくさんの人から応援のメールや言葉を頂いた。
それを思い出すと、あきらめそうな自分が情けなくなった。
もう少しなにかできるのではないか?と自分を奮い立たせようとした。
嫌がる自分を、みなが支えてくれたのだ。
力が足りず、無駄なあがきだ!と心の中で誰かが言う。
楽に終わろうと自分がささやく。
いつもより長く時間が過ぎるように感じたのはいうまでもない。
試験は自分を試すために受けるものだ。自分を磨き、証明するために。 だれかがいっていた。
「何かをはじめるときに、はじめの第一歩をふみだすことは容易ではない。
しかし、踏み出してしまえば楽に進めるんだ。」と
のどが痛む。
病院の薬を飲んで寝る準備をしないと。
なれないタグ打ちをすると大変だ。
雨はやんだかな?窓の外を見てみる。
ぽつぽつと降っていた雨は、今はやんでいる。
夜の曇り空は、これからを予感する。
灰色の夜空は、僕の心の不安を読み取っているかのようだ。
その不安は朝にぬぐいされることとなった。
結果は合格でした。みんなありがとう。おつかれさま・・・。
朝目がさめると、雨の音が頭にはいってきた。
今日は雨。雲は薄いようで、空は白が強く光っているかのようにもみえる。
それを横目で見ながら、朝の支度をする僕の心は、くもってなんかいなかった。