無常にも何もかも止まることはない。
わかりきったことなのだが世界は動きつづける。
まだ始まったばかりの人もこのページにきてくれているのだろうか?(始まったといえばおかしいかな?)
いつからか、僕は大人になっている。
20すぎたら成人!とかいう人間の決めた勝手な約束なんてどうでもいい。
僕はいつからか大人になっているようだ。
僕はTV等で流れてくる映像の大人たちを憎んでいる。
実際に身近にいる大人も憎んでいる。そういった人たちはずるい。
僕はそんな人達が嫌いな僕は子供なのだろう・・・と思っていた。
(大人、子供とかいう言葉もこのさいどうでもいいがわかりやすく答えるためつかってみた)
僕も自分自信守るためにずるくなっていた。
きれい事ばかりならべればらくだから。
あれはこうだったとか、こんなこともあったとか。
世界が動いている限り、やがてこういったわだかまりはきえていくのだろう。
僕はそうだったから。かなり前から僕はずるかったのだろう。
人間として考えてみる。
楽しいこと、悲しいこと、いろんなこと。時間がたてばわすれていく。
僕は人間のようだ。(おかしい表現ですが・・・)
今、僕はそれが悲しくおもう。
全部うすれていくのが人間 ならそれは悲しいね。
答えの出ないもの。そういったものを受け入れなくても、受け入れてもうすれていった。
憤りや怒りもきえていった。
それが「大人になる」ということなら悲しいね。
事実を受け止めるだけが人間なら悲しいね。
そんな人間であることを、人生を歩いている自分をすばらしいと思えるようになるのだろうか?
多分、人間に生まれたことはすばらしい。
こういうふうに表現できるし、なによりも笑えるし、悲しめる。
それは本当にすばらしい。でも実際にそれを感じれるようになるのはいつなんだろうか?
それを求めることが生きることなのだろうか?
多分答えはない。
少し前にある談笑の中で「初恋のこと」について話していた。
僕が相手に聞いたのだが、相手に「初恋は?」ときかれると僕は答えれなかった。
いつに日にか・・・僕は忘れてしまったのだろう。
そのあと考えてみたのだが、僕はどんなときもその人のことしか考えれなくなるほど・・・
というふうになったのは高校2年の冬だったのだろう。
そのとき、僕は逃げ出した。告白して・・・「返事はいい、好きになったことがうれしくてたまらない」
とかってに答えを出して返事も聞かずに逃げ出した。
僕はふられるのが怖かったのだろう。それからの僕は人を好きにはならなかった。
くわしくいうと、自分を好きになってくれた人を好きになった。
そうすれば自分は傷つかないと信じて。僕はずっと逃げていた。
自分を守るためにね。自分から人を好きにならない限り人には好かれないのかもしれない。
もしそうなら、僕から人を好きになっていたのかもしれない。
ただ僕は一番自分に楽なようにしていたのは事実だろう。僕はずるいね。
このページを公開するときをおもいだした。
僕は不安でいっぱいで、いろんなことに迷っていた。
いまの自分はその時と一緒だ!公開後はどうなったか?
それはHPをみてみればわかる。たくさんのありがとうとたくさんの苦しみがある。
うれしいことにありがとうのほうが多い。
すこしづつ、世界が開けているのだろう。
目の前にはたくさんの選択がまっている。
子供のころに夢に見た輝かしい時代がうごいている。
小さいころはそこにはいれないけど、今僕はその一部として・・・。
迷うし、考えるのも大変だけどうれしいことだよね。
いろんなことを思い出して僕はたくさんの発見をした。
これからもするんだろうね。僕はよわいよ。くやしいけど弱い。
人間である限り僕は弱いよ。でも大きくなれそう。
将来強くなるのか?なんてわからないけど、いつか「目に見えないすばらしいこと」に気付けるかもしれない。
どんなに悩んでも、悲しんでも、よろこんでも、わらっても・・・世界は動きつづける。
僕も動きつづけているのかもしれない。