アジャイル開発やスクラムを武道みたいに扱うのをやめてほしい

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アジャイルコーチとして色んな人に関わっていると、アジャイル開発やスクラムに対して、「難しい道のり」や「厳しい道のり」と受け止めている一定数の人がいるように思います。たしかに難しい部分はあるのだろうけど、「それを身につけるためには修業が必要」とか「アジャイルとはかくあるべし」といった武士道精神のような思想は必要ないんじゃないなぁと感じる次第です。

道とは何か?

おそらく往年の名作である『アジャイルサムライ』に出てくる先生や、タイトルにもある「サムライ」がそうさせている部分があるのだろうけど(守破離のたびかさなる引用もありそう)、アジャイル開発って修行して得られるものなんですかね?

こう思ったきっかけは、コーチングの勉強会でした。その勉強会で、海外で生活した経験のある人が、コーチングを学ぶことについてこんなことを言っていたんです。

日本人はなんでも道にしたがる。道になると精神や技を鍛える辛い道のりになりがち。でも、楽しく歩いていける道があってもいいんじゃないか?

「たしかになぁ」と当時は思いました。これは、最近は変わってきただろうけど、あえていうなら日本的な精神論と、欧米的なBe Happyの違いなのかもしれません。この引用には更に続きがあります。

コーチングの「道」ってなるとなんだか辛そうに思ってしまう。私は楽しく学べるコーチングの「旅」にしたい。

旅、ジャーニー、ハイキング。あんまりきばらず、そういう表現でもいいんじゃないですかね。

昔一緒に働いたことのある後輩について「弟子の○○さんが〜」みたいに言われることがあります。でも、自分は一子相伝制度を取っているので、「弟子」をとらない主義だし、どちらかというと彼らについては苦楽をともにした「同志」が近い。

僕はミヤギさんじゃないんですよ。師匠と弟子じゃなくて、対等なんですよね。昔も今も。

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