
最近、出逢う方々に「藤原さんところはグローバル化が進んでますもんねー」とか言われるんですが、実感がまったくありません。中にいるとよくわからないものなのです。ただ、最近そのグローバル化について、一緒に働いている方と「グローバル化ってめんどうくさいですね」って話をしました。
めんどうくさい理由
そのとき「めんどうだな」って思ったのは、海外の人が増えた影響(だと思ってる)で、議論をする時間が増えたことです。議論はいいんですが、「いつまで議論してんねん」みたいな先のない議論が大っ嫌いな性格。
たとえば、あるトピックについて、メールがかなり広い範囲で展開され、いろんな方向から意見がでてきてしまい、収集がつかない状態になったり。海外経験のある同僚が言うには、
- 意見を出すってのがまず文化としてあり
- 出しきってから、結論へともっていく形が多い
そうですが、どう考えても文句言ってるだけで、次のアクションなんて生まれる気がしない(1週間たったけどアクションはまだなさそうだし)。僕の心の奥から「単に暇なんじゃないのかな?」という悪の声がどこからか聞こえてきます。
なんか、全体に辞める理由を送ってくる外国人とかいたけど、すげーなと。最後に「あとは頼みます」的なのもすげーなと。
価値観の違いはなんとかなる気がする
海外は休暇を長くとる傾向があって、仕事とプライベートの時間をわけて考えるのが上手って話を聞きます。たしかにそういう人もいる。でも、ぜんぜん仕事が進んでないのに「仕事とプライベート!」っていう人もいる。世の中にはいろんな人がいる。
いろんな人がいるから、文化の違いってのはあんまり問題ない気がします。ただ、絶対的に問題を感じるのが、「会社の文化」に対する価値観の違いです。会社が求める文化と、本人が求める文化が違うのはどうにもならない。もしくは、解決には膨大なエネルギーが必要です。
個人的には「あわないなら来んなよ」って思いますし、「あわないなって思われたらクビだな」って覚悟を持ってます(ぶるぶる)。
グローバル化とは何か?
最近、グローバル化なんてものは存在しない気がするんですよね。おばけなんてないさみたいな感じで。
ただ、言語レベルでもそうですが、絶対に埋まらない壁をお互い持った状態で、一緒の場で働き、何かを成し遂げるのは、これまでの働き方や考え方では解決できない部分もありました。でも、日本人通しでも同じようなことはおきうるので、「別に海外の人と働くから」でもない。
結局、気にする人間側の問題で、気にしなければなんでもないことなのかなと。「グローバル化」なんてラベルをつけちゃったから、それに対する理由を考えているように思えてしまいます。
最近読んだGoogleの働き方に関する哲学がつまった『ワーク・ルールズ!』にこんなことが書いてました。
肩書きに「グローバル」を禁じたのは、それは自明のことであり、自己を美化する言葉だったからだ。
きっと、グローバル化とか言われたり、言っている限り、そこにはたどりついていない。もしかしたら、たどりつけもしないかもね。