33歳の誕生日に思うこと

誕生日です。33年目を迎えることができました。ありがとう。ラッキー。

毎年、誕生日には思うことを真面目に書くようにしているのだけれど、今年はやはり地震のことがいっぱいある。

僕は、阪神淡路大震災のときに16才だった。僕の街は神戸から離れていて、揺れが酷くて家のテレビがやられたぐらいの被害だった。当日はバイトに普通に行ったし、遠くの街で何かが起きていて、それがとてつもなく悲しいことだった記憶がある。風説がひどくて「死体がたくさんある」とかいう話を何回も聞いた気がする。

その後、大きな余震があって、たしか寝ている時だった。隣で寝ていた弟が小さく丸まってがたがた震えていて、弟にかぶさりながら「大丈夫、大丈夫」って言った気がする。弟はずっと弟で、僕はずっと兄だから弟を守らなければならない。

それ以来、地震が起きるたびに手が震えるようになって寒気がする。今回の地震も嫌な予感がとてもして、「いつどーんとくるのだろう」と揺れながら考えていた。長い時間揺れて、外に逃げ出すのも大変で、ビルのほうが安全とか本当かどうかすらわからない情報が流れて、外からビルを眺めたら、ビルから外を眺める人と目があった。なんで逃げなかったの?

家に帰ったのはもう夜中で、家について寒いなぁと思ったら電気がついてコタツをつけた。TVでニュースを確認していたら、見たことがない映像が流れて「あーこれは日本の話なんだ」と改めて怖くなった。毎日毎日、悲しい情報が流れてきて、同じCMが繰り返されるのが空虚で、TVはずっと観るものではないと思った。

鉄コン筋クリートという本があって、その中で純粋な男の子がいうセリフがあって、

シロ、神様にいっぱい謝んのね。
ごめんなさい。ごめんなさい。
もうしません。もうしません。
シロ、いっぱいあやまんだけど
きっとダメだな。
だって、もっといっぱい傷つけたり
ウソついてるしな。
きっと神様は怒ってんな。

きっと、いろいろな人が「ごめんなさい、ごめんなさい」って思ったんじゃないかと思った。僕たちは無力だった。

でも、日本は強いから、もっといい国にしようって思った人も多かったのだと信じたい。僕は、この自身の経験と、誕生日の影響もあって、改めてこの時代を作っている世代なのだと感じた。「責任を取れよ」と思っていた世代がどんどんリタイアしていくし、結婚して家族とか親とか色々深く考えることができたから。僕の世代もそういう役割を担う時が来ている。

だから、改めて、いい仕事をして、いい社会を作り、いい仲間を作り、妻と未来に生まれるはずの息子と健やかに、正直に生きて、「あとはたのんだぞ息子よ」といって前のめりで死にたい。

未来に生まれるはずの息子もきっと、僕のように悩み、妻に似て泣き虫で、親父に似て我慢強く、おかんに似て負けん気が強いはずだ。彼に「こんにちは、はじめまして」と言ってから沢山の時間が過ぎて、いつか彼が「お父さんすごいなぁ」と思ってくれるようなことをこれからはしていこう。

「そうだろう、親父は偉大なのだ」と言えるように。