ザ・ノンフィクション 居酒屋社長の学校改革激震の教室

感想おまちしてます!

daipresents2004-04-25
(写真)馬車道 サンマルクカフェ クールブラック最高
学校で勉強したことは、恐ろしいほど役に立たなかったりする。
人の脳みそを判定するのに、「学校の勉強」というのは
とても役に立つが、その考え方は子供にとって無責任なもんだ。
その前に、何が大切なのか説明できる大人はいないものか。
「ザ・ノンフィクション」をはじめてみた。
「我輩は猫である」にも登場する学校の話。
その学校の負債を請け負ったのが「和民」の社長。
社長は「生徒の幸せを願うことは、お客様を思うことと同じ」と
熱く語る。また、校長もいかつい。
信念のある人間は、ただなんとなく生活をしている人間に脅威を与えるもの。
弱い人間は、そういった人間をなくしたがるものだ。
学校と言う閉鎖的な空間では、とてもなぁなぁな空気ですごせるものだ。
学校と言う現場に競争原理を持ち込む。
今までなかったことに疑問を感じないこの怖さ。
何をしようと何をしまいと、同じ給料がもらえる。
私の知る公務員を目指す人間にありがちな、
「安定した生活」を臨む姿勢。
安全なものに乗るだけの考えがとても僕は嫌いだ。
その安定を支えている人間のことなんて考えてないのだろうか。
結局、自分さえよければいいのか。
今まで、生徒の為にいる先生を見たことがない。
やりかたについていけない先生が30人ほど辞めたらしい。
そのうちの一人が、「私はいらない人間ですから」と言い捨てる。
バカか。
自分で負けを認めてどうする。
大人はすぐあきらめる。
教頭か副教頭をやっていた人は、図書室で働いていた。
「一生懸命やってきた。なんで私が。。」と表情を硬くする。
一生懸命やってきたのに、なんでその学校がつぶれるほどに負債を
抱えているんだろうね。
人間は被害者を哀れむ。
一度道をはずれたら、被害者面をすれば哀れんでくれるだろう。
よかった、よかった。
やさしい社会でよかった。
「人間が人間になんでこんなこと言わなきゃいけないのか」
この言葉がとても印象に思った。
最近では、「常識」、「あたりまえ」と言った言葉が、
個人の単位でいわれることが多い。
常識の範囲が狭くなっているともいわれるが、
その常識をつくってきたのは、あんたらじゃないのか?
それを伝えることのできる「大人」ってだれよ?
子供だった僕が欲しかったのは、
わからない問題であろうとも、必死になって答えを探そうとする。
必死に伝えようとする「大人」の姿だ。