(写真)大阪日本橋ガンダムショップ
松山から宇和島までは、道がとても渋滞していた。
それもそのはず、日付は盆休みのど真ん中だった。
あとから親父から聞いたが、車で来たときもひどかったらしい。
バイクはすり抜けることができるため、渋滞はなんとか攻略することができた。
しかし、僕のお尻は限界に到達しようとしていた。
じっと座ることができない。
海沿いの道は最高だった。
海が見えるたびに、お尻の痛みを忘れた。
風が最高に気持ちいい。
通り過ぎるライダーが手を上げて合図をしてくれた。
毎回毎回、すれ違うライダーは挨拶をしてくれる。
僕は思い切って、次にすれ違ったライダーに手で合図をした。
ライダーは少し笑いながら、軽く手を上げる。
心が通じた瞬間である。
あの時僕は、「俺達ってかっこいいよな・・・」と自分に酔ってしまった。
しばらくして、あることに気がついた。
僕はじいちゃんちの場所を知らない。
鉄砲玉のように大阪を飛び出したおバカな大阪人がここにいた。
しかし、「なんとかなるさ、ケセラセラ はははは!」と
明るく考えていた。
そういうわけで、なんなくじいちゃんちに到着した。
6時間以上走り続けた僕を、先に来ていた人たちが暖かく迎えてくれた。
僕は、安心したのとクタクタに疲れたのがあってか、
眠る場所を探した。
親戚のおばちゃんが、フラフラの僕を案内してくれ、
その場所で僕は深い眠りに落ちた。
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ものすごい怖い夢を見た。
じいちゃんの夢だった。
僕は目を覚まし、周りを見渡した。
そこには死んだじいちゃんが横になっていた。
彼はもう動かない。
夢の中では動いていたけど、彼はもう動かない。
実を言うと、「お前はいい大学に入れる」とよくいってたじいちゃんが嫌いだった。
じいちゃんがでてくる戦争の本を読んだけど、
じいちゃんは僕には理解できない時代を生きていたからだろうか。
でもじいちゃんは、夏に帰ったときにうれしそうにしてくれた。
じいちゃんは僕が気がついたときからじいちゃんだった。
あんときは、涙も出なかったけど、これ書いててなんか涙が出てきた。
思い出が少ししかなくて寂しいけど、
僕がおとん、おかんの子供であり続けるように、
じいちゃんはずっとおれのじいちゃんだと思った。