1年4組だった藤原さんの日記 in ジュニア・エポカ学習帳

感想おまちしてます!

実家に帰って、自分の生い立ち写真を探したりした。
両親の結婚した時の写真とか、家のアルバムはなんだか深い。

オヤジはなんでもとっておくので、藤原さんが生まれた1978年5月8日の毎日新聞とか、当時のカレンダーとか、いろんなものがある。
そんな中に、藤原さんが小学校1年生のときにかいた日記があった。どうも、学校の宿題っぽいのだが、藤原さんの天才的な文才を垣間見る内容になっているので、文学界の至宝の可能性があるため一部公開する。

1月27日
ぼくは、きょう、学校からかえってから、ざぶとんとかで、うちをつくって正ちゃんといっしょにあそびました。
なべや、すいはんきはそろってあそびました。ほんもののなべやすいはんきだったので、とてもたのしかったです。
それで、ねっちゅうじだいのテレびを見ました。それでゆうごはんをたべてファミリーコンピュータのにんじゃじゃじゃ丸くんのえとスーパーマリオブラザーズのえをかきました。

藤原さんが、なぜ本物のなべや炊飯器を使っているのがよくわからないが、徹底的なリアリティを求めていたのかもしれない。あなどれない才気。
そして、日記には笹倉先生のコメントが書かれている。

大くんのおうちには、ファミリコンピューターがあるの?もっていたなら、ちゃんとじかんをきめてやってね。

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1月29日
ぼくは、きょう、学校からかえってから、うちでおとうとといえをつくってあそびました。
おとうとが、ふくやさんで、ぼくは、おもちゃやであそびました。お金はかみでつくったお金があるのでたいへんおもしろかったです。
つぎに、なわとびをしてあそびました。ゆっくりやってだんだん早くなてきてあそびました。
いえに入て、おもちゃやのつづきをしてまたあそびました。
それでいまにっきをかきしゅくだいぜんぶをしました。かん字もべんきょうしました。ならった字とひらがなとかん字があるものをかんがえてあそびました。
それでうちのつづきをまたして、いえをひろくしてあそびました。
おとうとがでん車であそんで、あそびました。
そのころはおとうさんもかえっていて、それでにっきをおわります。

おとうとは、いまが一ばんかわいいころでしょうね。なかよくあそんでね。

ここで1点気がついた。藤原さんの日記の出だしは「ぼくは、きょう、学校からかえってから・・・」から始まる。そして、たまに「それでにっきをおわります」と自分から日記を終わらせる。藤原さんの適当な性格と、途中で飽きたので、一気に終わらせようとするところとか、性格がでているなぁ。

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2月3日
ぼくは、きょう、学校からかえってから、ともだちのりゅうへいくんとあそびました。
グローブとボールをもってかべにあてたりうけあいをして、ぼくがすごくたかくぼーるをなげたらりゅうへいくんが、「わ!!すごいね!!っ」といいました。それで正ちゃんが、すごくはやいたまをなげたからぼくは「わ!!すごいね!!」といってりゅうへいくんは「は!!は、はやい」といいました。
それでかえって、この日っきをかいています。おとうともべんきょうをしています。
まめまきも6じ15分にして、この日っきのつづきをかいています。しゅくだいもやりおわるところです。
もうこの日っきはおわります。
もうすぐ二年生だから三がっきのつうしんぼは、ぜんぶ三十だといいとおもいました。

そりゃそうよ。
だれでも三じゅうまるがほしいよ
しっかりまいにちおべんきょうしなくては、三じゅうまるはあげれませんよ

「は!はやい!」というところで吹いた。想像だが、松坂ぐらいの速さだったのかもしれない。
また、藤原さんが日記をちょっとずつ書いていることに気がついた。この集中力のなさは以後、15年ほど続く。

藤原さんの小学校の通信簿は、○で成績が表されるもので、一番いいのが三重丸なのだ。
きっと当時の藤原さんは、1学期、2学期の通信簿をもらい、全部三重丸がいいなーと思ったのだろう。そして、先生からきっちりとしたツッコミをもらっている。さすが大阪の先生。

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この日記に気がついたのが、大阪にいる最後の方だったので、あと少しだけ書き写したものがある。
また時間を見つけて公開しよう。