
誕生日に話すことではないかもしれないが、尊敬する元上司が亡くなったそうだ。
「そうだ」というのは、この件について、あまり表立って話されておらず、見送ることもできなかったので、自分の中の感覚的にもまだ実感がなく「そうだ」としか書きようがないからだ。
尊敬する元上司は文字通り「尊敬する上司」だった。
誰かと話しているときにその人を思い出すと「僕の尊敬する元上司がね」という枕詞が出てくる。今思えば、尊敬する元上司が僕に『マネージャ』というものを考えるきっかけを与えてくれたのだと思う。
尊敬する元上司は誰からも好かれていて、いつもたくさんの人に囲まれたまぶしい存在だった。
たまに飲みに行ったりするといつも怒られるので自己中心的な自分としては「なんか嫌だなぁ」と思いながら酒を飲んでいたのを思い出す。でも、嫌いじゃなかった。
そんな尊敬する元上司が、早々と世界から去っていった。
誕生日は、特別な日だ。世にも珍しく、誕生日はみんなに平等にやってくる。歳を重ねるごとに誕生日を忘れてしまうのだが、それでも1年、また1年と、世の中全体が歳をとっていく。
そして、歳をとるにつれて、訃報もやってくる。誰にも平等に訪れるのを改めて思い出す。
そして、「あのとき、会っていれば」という後悔が生まれる。もっとできたことがあったのではないかとふりかえる。1日1日を大切にすごさないかんなと改めて心に留める。
そして、何かの機会にその人を思い出す。ああ、もういないのか。という喪失感と向き合う。
「寂しいです」と伝えることもできない。これがとても寂しい。