
去年の11月に神戸の山を50キロぐらい歩くことができたので、次のチャレンジは100キロウォークを選んだ。調べてみると「第3回 三浦半島周遊ウルトラウォーキング 」が近くで開催されるらしい。「平地を歩くならなんとかなるやろー」と早速エントリー。24時間歩くっていったいどんな感じなんだろう?
位置について
少し早くついた。
横浜駅からそごう方面に向かい、日産本社やアンパンマンミュージアムを傍目に歩いていくと、右手に大きな劇場が現れる。話題の「Kアリーナ横浜」脇の公園がスタート地点だ。小雨のぱらつく会場には、スポーツウェアを身にまとった人がひとり、またひとりと集まってきていた。
エントリーを済ませ、ゼッケンを受け取る。この公園にはベンチが少ないので、多くの人が雨をしのげる場所に座り込んで各自準備を進めていた。時間があるので近くのカフェにでも行こうと思ったが、みなとみらいエリアは徒歩で移動するには広すぎる場所でもある。まだ新しく開発された場所からは、どこにいくにしても遠い。
用意し忘れたものを買おうと100均へと向かう。1Fには新しいスーパーマーケットがあり、休日の午前中でも混み合っていた。100均に行く途中に大きなフードコートがあり、スーパーで朝食を買って、そこで食べることにした。昼食にはまだ早い時間のフードコートはとても空いていた。


よーいドン!

参加者は250名弱だった。多いのか少ないのかわからないけど、後で調べてみるとコロナ前は1000人規模の大会も多くあったらしい。コロナによって、あきらかに何か大きな変化が起きているのが改めてわかる。
スタートは混雑を避けるために11:00、11:05、11:10の3回に分かれてスタートする。5分あると500m近く間が空くが、数時間経てば参加者は長い列になり、追いついたり追い抜かされたりするので、10分遅れてスタートしても、いずれ同じペースの人たちで固まることになる。
みなとみらいスタートなので、まずは観光地を歩き抜ける形になる。GW初日とあって人は多く、いくつかイベントが開催されていたのでいつもより大賑わいだった。休日をのんびり過ごす人たちの脇を、少し早足の集団がすり抜けていく。
参加者のペースはとてもはやい。大人が普通に歩くのが時速4キロぐらいだとすると、4.5〜5.5キロぐらいのスピードになる。速さを競い合う大会ではないが、先頭集団は競い合う形になりがちだそう。時速5.5キロとなると大阪人の本気の速歩きぐらいのペースだ。参加者年齢はそれなりに高そうだが、みなさん健脚をお持ちですばらしい。
新しいみなとみらい地区を抜けると、古き良き時代という言葉がよく当てはまる山手地区に入る。ここは外国人駐在員などが多く住む地域で、横浜らしいちょっと洋風な雰囲気に包まれた場所だ。昔、近くに住んでいたので10年以上ぶりに訪れることになった。




山手を抜けて八景島を目指す。磯子、鳥浜、並木あたりは工業地帯なので、長い直線道路が続く。ずっと先まで見える道路を歩いていると距離感がおかしくなり、通常より疲労を感じやすくなる。大きなトラックが行き交うため、こころなしか空気も悪い。
このあたりで体の異変に気がついた。
ジョギング・ランニングだと肺活量と筋力という2つの要素が重要になってくる。これは登山も似ている。肺活量が低いと息が上がり走れ(歩け)なくなり、筋力が弱いと走れ(歩け)なくなる。よって、これらを鍛えていくのだが、今回のウォークでは筋力、つまり足に異常がすぐおきはじめた。
思い返せば2月にはじめてコロナにかかり、3月も熱が1週間続いて十分に練習ができなかった。肺活量はなんとか維持できていたみたいだが、とにかく足のあちこちが痛い。
まず股関節。足の根元が痛い。アミノ酸をとってストレッチでなんとか収まってきたが、距離が進むにつれてふとももとふくらはぎがどんどん筋肉痛になってきた。
そして最後まで悩まされたのが足首の痛みだった。ストレッチを入念にしたつもりだが、大会後に見てみると右足首がふくれあがり、全体的にぱんぱんに腫れていた。足裏もずっと痛く、靴擦れの影響で左足親指にみずぶくれもできていた。
スタート10〜20キロで痛みがはじまったので、大会のほとんどを痛みと付き合うことになった。無理を感じたらリタイヤすると心に決めていたが、痛みで転んで車にぶつからないように注意を払うため、眠気よりも緊張が勝ったような気がする。
スタートから35キロぐらいで横須賀に到着した。大きめの街はここが最後だ。このあたりで夕方になるため、夜に備える必要がある。
横須賀から先は海岸線のドライブコースを歩くことになるため、店がほとんどない。ところどころにコンビニがあるが、車だと一瞬でついても、歩くとなると数時間当たり前にかかるぐらいの間隔になる。
もし、次があるなら(今のところないけど)、夜に備えて横須賀でラーメンや牛丼を軽く食べ、十分な休憩とストレッチを行うだろう。行動食でも十分歩けるだろうが、24時間歩くとなると、それなりの食事は必須に感じた。
水分はペットボトル1本で十分。自販機はたくさんあるので、量が少なくなったら買い替える形が良いと思う。熱中症などが怖いので、何本もペットボトルを持っておきたいところだが、たかが500g、されど500gだ。
また、コースの途中にいくつかエイドがあるが、15〜20kmぐらいの間隔があるので、この距離に合わせて休憩するのが自分にはとても難しかった。「1時間歩いたら休憩」のように自分に合わせて休憩すべきだろう。
休憩もすばやく終わらせなければならない。100キロウォークともなると、後半1キロ歩くだけでもしんどくなる。最後まで歩ききるためには、体が冷えない程度の休憩が適度に必要になる。



さて、横須賀を過ぎると夜のピクニックがはじまる。
そこは海沿いのドライブコース。土日を楽しむ若者が車をぶっ飛ばしてくる。よってヘッドライトは足元を照らすためだけでなく、相手にこちらの居場所を伝えるためにも必須だ。
車は前からも後ろからもやってくるため、今回は登山用のヘッドライトと子どものリュックにもつけているテルイライトのLED充電式ストラップライトを利用した。どちらも12時間以上点灯してくれて頼もしい存在だった。
それにしてもときおり走り抜ける車がとてもうるさい。この大会だと夜明け前の登山道を歩くような静けさをなかなか感じられなかった。波がさざめく静かな海辺で休憩していても、足の痛みが邪魔をして考え事ができない。想像以上に辛い夜がだが決して孤独ではない。
肺活量は問題ない。心も折れていない。こうなったらもう気合で歩き続けるしかない。もう少年ジャンプの展開だ。
真っ暗な公園の恐怖よりも、足の痛みが気になる。急に歩けなくなったらどうしようか? そればかりが頭をよぎる。登山道とは違い人里は近いが、どこまでが無理で、どこまで無理じゃないのだろうか? ずっとそんなことを考えていた。
日の出が来ると気分も良くなろうだろうか? 海岸沿いは風が冷たく、湿気が多く霧がかっていた。薄い上着を羽織るだけで十分な気温(最高21度、最低15度ぐらい)だったが、指先が冷たくならないように体を動かし続ける。
なんのために歩いているのだろう?
参加者だけでなく、この大会を知った誰もが考えてしまう問いだろう。「そこに道があるから」なんてかっこいい言葉が浮かんだが、自分には間違いなく当てはまらないと思った。歩いたらどうなるだろうか? 夜歩き続けるってどういうものなのだろうか? そこにあったのはただの好奇心だけだ。


三崎口駅前で日が昇る。10時間近く暗闇を歩いてきたが、本当にあっという間に時間が過ぎた。ついさっきまでのことなのに、夜の間自分が何を考えていたかなんて忘れてしまっている。
沿道に24時間営業しているファストフード店もちらほら見えてくる。駅前で休憩をしていると、大会参加者と思われる2名が下を向いて座っていた。二人共ゼッケンを付けていない。おそらく始発を待っているのだろう。
三崎口は80キロ地点だ。50キロを超えると未知の領域となり、体はずっと同じ痛みを与えてくれる。この痛みがわかるのは参加者だけだろう。戦友には「ナイスチャレンジだ」と伝えたい。
この日はニュースで話題になるぐらいの夏日となった。これからも海岸線を歩くことになるのだが、海岸は沢山の人で賑わっていた。日の出とともに右手(左手は海側)からの日差しが強く、比較的日陰が多い選んで歩くために、道の右手を歩いていく。
体が温まり、少しペースが上がる。「運動中は体が冷えると良くない」というが、今回はそれを身をもって体験できた。休憩したあとに歩きはじめるとペースが必ず落ち、だんだんペースが戻ってくるからだ。シャリバテ(エネルギー不足で歩けなくなる現象)も怖かったが、体温は命にも直結するので防寒対策はしっかりやったほうがいい。
ゴールの逗子までは、秋谷、葉山といった海岸沿いのドライブコースを歩く。景色は気持ちいいが、道は狭く、日差しを遮るものがないので気が抜けない。秋谷で休憩してゴールへと急ぐ。

ゴール
目標は24時間以内でゴール。自分のいつものペースだと、20時間以内をストレッチゴールと考えていた。
結果は22時間2分1秒。まずまずの時間だったと言えるだろう。
22時間のうち20時間は足の痛みとの戦いだった。それでも、大きな怪我をせずにゴールできた。完歩証をいただくときにスタッフに「おめでとうございます」と言われ、はっとして、ほっとして少し涙が出た。


おわりに
本屋大賞をとった『夜のピクニック』にはこんな名言がある。
みんなで、夜歩く。ただそれだけのことがどうしてこんなに特別なんだろう。
恩田陸 『夜のピクニックより』
この100キロは自分にとって特別だったか? 準備不足はあったが、体力的にはもっと戦えただろう。そして、決して折れない強い心も、幸いながらまだあるようだ。それでもやっぱり体の隅々から少しずつ「老い」というものを実感するのは確かだ。
ひとりではなく、友人と参加していたらどうだろうか? 普段喋れない、いろんなことを話していたかもしれない。この100キロは、そういう特別な場になりえる時間だったように思う。
でもやっぱりひとりもいい。
ひとりで歩き続けてわかったのは、痛みを伴いながら歩き続けるだけのこと。これを例えるなら「人生」という言葉がぴったりかもしれないが、そこまで大げさな話でもないと思う。
ただ歩くだけなのだ。
それぞれが、それぞれの価値を持ち、同じゴールを目指し、同じ道を歩いていく。
それだけで十分、特別なのではないだろうか。