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アジャイル開発専門チームのマネージャが考えていたこと

SIで一人で客先常駐していたときに、聞ける相手が誰もいなかったので『アジャイルプラクティス 達人プログラマに学ぶ現場開発者の習慣』を読みながら仕事をしていました。そんな僕も、やがてアジャイル開発に深く関わることになり、アジャイルチームのマネージャになったりして、気がつけば17年・・・。時間は恐ろしい。そんな年月で考えていたことをふりかえってみようと思います。

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アジャイルなチーム

当時は、「自分たちの仕事が事業なりに直接貢献できない」「運用で手一杯で新しいことができない」という課題があって、仕事は地味で退屈でリスクがあるレガシーコード&環境の運用でした。もう、笑えるぐらい優秀な人から辞めちゃう。

これだといかんなぁと感じて、自分たちの仕事を

  • 開発(だれかに貢献するためのもの、将来に向かうためのもの)
  • 運用(定期的に発生してしまうもの)

とわけて、運用を減らし、開発をたくさんするための施策を進めていきました。

開発面は『アジャイル開発とスクラム』にも書かせてもらったのですが、社内で誰もが使えるライブラリ開発を実施。CI/CDは完全自動。だって、運用が大変な現実を知っているので「絶対にそうならないぞ!」という気概しかありませんでしたから。

結果的に、自分の知る限り大きな問題も起きず開発運用できた気がしていて、「CIでテスト流さないなんてありえない感覚」や「CIが落ちたら大騒ぎする感覚」を身につけられたのは大きかったです。

ただ、だからといって「だからテストを書くべきだ」となる気はまったくありませんでした。これはアジャイル開発もそうだし、テスト自動化もそうで、「好きなものを選択する」のが大切なのだと今でも思ってるからだと思います。

このあたりの話は、まとめると以下のスライドとかで話したことがあります。

参考: 開発者ツール管理者の羅針盤

このときはいろんなアクションがハマった時期で、Redmine使いはじめたらユーザ数が軽く1000超えたり、コスト部分を自動化して社員が自己解決する仕組みを作ったり、最終的にはやることがなくなってしまい、社内でもそれなりに存在感を出せたかなぁ。

アジャイルコーチ

運用コストを改善し、レガシーな環境も(雨にも風にも非難に負けずに)どんどん閉じていく形をとり、劇的に仕事がなくなってしまったので、次のアクションとして、外側の世界に出ていくことを決めました。

これが今も続くアジャイルコーチのはじまりで、社内のチームやプロジェクトにコンサルティング的に自分のチームごと入り、一気に改善しちゃうサービスです。

その時の活動は以下で発表させていただきました。

プロジェクトの成功ももちろんですが、自分たちが頑張ったことを話として残せるのはいいですよね。

あとは、当時の会社は世間的に好き嫌いが分かれる会社でしたが、そとからは単純にしか見えないかもしれないけれど、その中にもがんばってる人はいるんだよ・・・ってことも伝えたかったことのひとつです。

アジャイルマネージャ

様々な支援をしながら、アジャイルチームのマネージャとして、チーム目標やロードマップを考えたりもしました。たとえば、2010年ぐらいの自分の興味は「Enterprise Agile」と呼ばれる今で言う「DX」みたいなホットワードです。

企業全体にアジャイル開発を適用していくのにロマンを感じましたし、100歩先を進むアメリカの事例にわくわくしたものです。日本でもこれができるかな?なんて。

日本での大規模アジャイル事例も後に登場してくるのですが、当時、それを本気でやるか?と考え、チームの行く末を考えたときに、チームを解散しようと思うようになりました。

一番大きな理由は、自分と一緒にやれそうなアジャイルコーチがいなかったからです。

当時は海外の人が増えてきた時期で、その中にアジャイル専門チームの人たちもいました。いろいろ話して気がついたのは、彼らはアジャイル開発導入コンサルでしかなく、プロダクトやサービスにどうやって貢献するか?みたいな視点がすっぽり抜けているようでした。

いわゆるクソアジャイルです。

そして、あるときに彼らや各国のグループ会社のCTOレベルとディスカッションする機会があり、「おまえらの言ってるアジャイルってなんよ?」と質問しては論破した結果、最後のまとめとして「みんなで考えていこう」という「We are the worldかよ」とツッコみたくなる結論にまとめられたときに、「なんか違うなー」と感じ、解散をリアルに考えました。

もちろん、組織なのでそうは簡単にやめられない部分はあるのですが、仕事を整理し、メンバーとはそのキャリアの相談をしながら、やりたいことが実現できる場所を一緒に探したりしました。会社を辞めて別のキャリアを考える人もいました。

ちょっと寂しい思い出ですが、業務支援に携わるチームが、ずっと存在するのは気持ちが悪いので、役割には期限があってもいいのかもしれませんね。もちろん、なにか一つを生きがいに続けるのもありでしょう。好きなものを選択すればいい。

その後はあんまり詳しく覚えていませんが、アジャイル開発に関係する部署はその後も残ったり作られたりしていたので、当時のブームもあったかもしれないけど、「アジャイル」という言葉が社内で普通になる・・・ぐらいには、貢献できたかなと思っています。

逆に言うと、それぐらいしか自分には変えらなかったということでしょう。

再アジャイルコーチ

その後、アジャイル開発が仕事の中心にはなっていませんでしたが、アジャイル開発での経験は各所で活用できました。

おかげで、QA組織のことを学んだり、テスト自動化の流れを知ったり、マネジメントや国外の採用など、新しい経験が沢山できたようにおもいます。

参考: 輝く未来を抱きしめて。アジャイル・DevOps時代の品質組織づくり

そして改めて今、アジャイルコーチとして仕事をしています。内容はアジャイル開発とは限りませんが、よりよいプロダクトを作ったり、よりよい開発をしたい組織はたくさんあるようなので、それぞれの現場にいい傷跡をつけられるように。

武者修行の日々が続いています。

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