『ご冗談でしょう、ファインマンさん』から学ぶ好奇心とユーモアにあふれたカラフルな人生

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ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

自称「社会に対する積極的無責任者」、モットーは「人がどう思おうと、ちっとも構わない」であるノーベル物理学賞受賞者であるファインマン先生。彼のエッセイは好奇心とユーモアにあふれていて、読んでいてはときどき考えさせれられ、読んでいてはときどき吹き出してしまう素晴らしい本でした。

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ファインマンさんの人柄

ご冗談でしょう、ファインマンさん』は、上下巻に分かれていて、分厚さもあるので読みだすのに勇気がいるかもしれません。そして著者は物理学者。眠くなるに決まってる! と思うのは当然。しかしながら、ちょっと読めば、彼の文章は読みやすく(「べらんめい」口調を選んだ翻訳も素晴らしくいい)、数学や科学的な描写が難しいところは読み飛ばしても大丈夫。なによりも、各章がほとんど独立しているので、好きなところを読めるのもいいです。

そして、何よりも魅力的なのはファインマンさんの人柄です。彼は科学だけでなく、世の中すべてへの好奇心に満ち溢れ、ドラムや絵画、はたまた金庫破りまで、なんでも徹底的に考え、学び、実行する探究心を持っています。さらに、各章で笑い転げてしまう彼のユーモアとそのカラフルな人間性。この人は本当にステキな生き方をしている。そう思わずにはいられず、どんどん読み進めてしまうのです。

ファインマンさんの人柄を現したエピソードをいくつかあげてみると・・・

  • 木のまわりを踊り回り、ドラムを棒でたたきながら何か節をつけて唱えているのをインディアンと間違えられたり
  • 新しい自然の法則を発見できそうなとき、ファイマンさんが休暇から帰ってきているのにすぐ知らせなかったというのでへそを曲げている知人の女性が、うんとこさ邪魔をしてやろうと深夜に現れて追い出すのに苦労したり
  • お役所相手にうんざりして、絶対に十三回以上はサインをしないぞ!と小切手の受け取りに必要な十三回目のサインをしなかったり
  • 教科書選定の委員に選ばれて教科書を読んでみたら「ジョンは赤い星と青い星を見ました。二つの星の温度を合計すると何度になりますか?」という問題を読んで「二つの星の温度を合計していったい何になるのか?」とブチ切れたり
  • パーティーでドラムを叩いていたら、一人の男がその音に魅せられて、裸の胸いっぱいにシェービングクリームでヘンテコなデザインを塗りたくり、耳たぶに桜んぼをぶらさげて踊り狂いながら現れて意気投合したり

なかでも、膨大な給料を貰えるチャンスを捨てたときの啖呵の切り方と

どうしてそのような莫大な給料の職を辞退するのかといいますと、実はいつも僕がやりたいと思っていることーーすばらしい女性をアパートに囲って、何かいいものを買ってやるとかいったことーーが、その給料なら実際にできるからです。そしてそうなればもうどういうことになるかは言うまでもないでしょう。僕は彼女が何をしているかなどと絶えず気をもんだうえ、家に帰ればいざこざがもちあがるに違いない。こういう心配事があると、いきおい僕は気楽でなくなり、不幸になってしまう。そうなると物理の研究にうちこむこともできなくなって、僕はめちゃくちゃになります! 僕がいつもやりたいと思っていることは、実は僕のためにならないのです。 (下巻: 断らざるをえない招聘より)

大嫌いなお役所仕事に立ち向かう姿、そして、わかっていても不毛な戦いを挑む彼の哲学は

旅費の生産で領収書がないとできないと言われ「受け取りなんかやらないぞ。そうすれば金はもらえないが、それならそれでけっこうだ。そんな金など受け取るまい。僕を信用しないんだと? べらぼうめ。そんなに信用できないんなら僕に金を払う必要なんかないんだ。これはむろんばかばかしい意地のはり合いには違いないが、これがお役所のやり方だということを僕は知りぬいているのだ。そんなお役所なんかくそくらえだ! 人間はお互いに人間らしい扱いをするべきだと僕は信じている。だから僕を人間らしく扱わないような連中とはいっさい関係したくない! (下巻: 本の表紙で中身を読むより)

相手にすると大変だろうけど、なんだか憎めないファインマンさんが浮かんできます。

最後に、『ご冗談でしょう、ファインマンさん』ではずせないのが、「下から見たロスアラモス」でしょう。原爆の実験最前線のロスアラモス。そこで感じた彼の感性は、きっと現代社会でも通用する理念のひとつだとおもいます。

とにかく原爆実験のあと、ロスアラモスは沸きかえっていた。みんなパーティ、パーティで、あっちこっち駆けずりまわった。僕などはジープの端に座ってドラムをたたくという騒ぎだったが、ただ一人ボブ・ウィルソンだけが座ってふさぎこんでいたのを覚えている。「何をふさいでいるんだい?」と僕がきくと、ボブは、「僕らはとんでもないものを造っちまったんだ」と言った。「だが君が始めたことだぜ。僕たちを引っぱりこんだのも君じゃないか。」そのとき、僕をはじめみんなの心は、自分達が良い目的をもってこの仕事を始め、力を合わせて無我夢中で働いてきた、そしてそれがついに完成したのだ、という喜びでいっぱいだった。そしてその瞬間、考えることを忘れていたのだ。つまり考えるという機能がまったく停止してしまったのだ。ただ一人、ボブ・ウィルソンだけがこの瞬間にも、まだ考えることをやめなかったのである。 (上巻: 下から見たロスアラモスより)

この章の最後には、工事現場を見て嘆くファインマンさんの姿があります。しかし、彼はその間違いを認めます。最後の文章は、原爆を作った側の人間でありながら、ファインマンさんにしか書けないすばらしい言葉でした。

ファインマンさんの人生は、すべてのできごとが「愛しい」と感じられるぐらいカラフルです。訳者のあとがきにもあるように

好奇心でいっぱい。とにかく何かにあっと驚き、なぜだろう? と考える心を失わないこと。そしていいかげんな答えでは満足せず、納得がいくまで追求する。わからなければわからないと、正直に認めること。これがファイマン先生の信条でもあり、そっくりそのまま先生の生涯を浮き彫りにしていると思う。

自由とユーモアに満ち溢れ、「だから人生は面白い」というのが、彼の文章を通してこちらにまで伝わってきます。

やっぱり、人生は面白くなくちゃ。