対極の共存を学んだ「ジェネラル・ルージュの凱旋」

感想おまちしてます!

行動には危険がつきまとう。行動しない口舌の輩がよってたかって行動する人間を批判する。いつからこの国はそんな腰ぬけばかりになってしまったんだ?

ソフトウェアの世界には設定より規約(Convention over Configuration)という言葉がある。
その意味は、「いいルールであれば、守ればいいことがある」と僕は考えている。
最近、仕事でこのことを考えるようになってきた。
今やっている仕事の対象範囲が「会社」とか「組織」とか、結構大きめの単位なので、「全体として最適か」を念頭に、かつ、「それは柔軟性があるか」を考える必要がある。
そこでジレンマが生まれる。
ルールを守ってもらいたいけど、守ってくれないこと。
また、ルールがあるために失う部分があること。

一つ目のジレンマは、守らない人もいるんだろうが、どちらかというと、守るルールがわからなくて、無意識に「守らなかった」という場合もある。
二つ目のジレンマは、ルールが「何か」の制約になってしまうこと。「何か」には時間であったり、利便性などがある。
ルールを決めるのも大変。運用も大変。
ルールに固執するのは体にも心にもよくない。
話を戻すが、設定より規約という言葉。
そもそもルールがメリットになれば、全体に展開しやすくて、柔軟なのではないか。そんな可能性をWikipediaを読んでいて感じた。
ルールを守ることで、守った人が「ふふふ」と喜ぶようなルールを考える必要を感じた。
ジェネラル・ルージュの凱旋では、保守的な黒崎教授と、既成概念を壊していく速水部長のやりとりがとてもよかった。これは黒崎教授の言葉。

ワシがコイツと相容れることは金輪際ない。(中略) たとえワシが気に喰わなくとも、桜宮の医療にはコイツが必要だ。ワシは規則という枠を守って生きる。こいつはその枠を破壊しながら前進する。ワシたちは互いに互いを必要としている。

自分は壊すほうだな。問題は壊したあとなんだけれど。