モダンタイムス – 伊坂幸太郎 を読む勇気はあるか?

感想おまちしてます!

「勇気はあるか?」

モダンタイムス。「魔王」の50年後の世界。
「魔王」のもやもやした感覚と、「ゴールデンスランバー」のような、判断を超える不安を持ち合わせた物語。
「勇気」。この言葉は、この本を読むことに対しても向けられているのではないか?

モダンタイムス (Morning NOVELS)
この本の感想は難しい。非常に難しい。
著者は元エンジニアだから、Googleの理念を知った時に、この本の構想が生まれたのかななんて想像してしまう。
僕は、Googleの理念を知った時に、神様が誕生するようで怖くなった。
アドルフ・アイヒマン。
ナチスドイツで、ユダヤの大虐殺の管理者だった人だ。そう聞けば、「なんてひどい人だ」と思うわけで、実際処刑されている。
しかし、ギュンター・アンダースという人が、アイヒマンの息子に書簡を送ったらしい。そこには「誰でもアイヒマンになりえる」と書かれていたという。


アイヒマンは「仕事」として作業を進めた。作業というのは「ユダヤ人を殺すこと」。良心の判断からいえば「ありえない」と思うことがあるかもしれないが、「自分たちの製造する能力が、想像する能力を超えてしまった時、想像力と知覚が失われる」とアンダースは考えた。
つまり、システム上の一番末端の処理。その処理にかかわる人は、自分の作業にどんな影響が生まれるか考えることができなくなり、「知覚が失われる」という現象が生まれる。
僕はエンジニアをやっているので、なんとなく理解できた。自分の作業範囲だけを視野としている場合、それ以外の簡単な問題が把握できないんだよね。
現代にも同じようなシステムがあって、僕は「世界が平和にならないのはなんでだろう?」と考えたとき、現代自体が巨大なシステムすぎて、どうにもならないのかなと思った。

「まただ」い私は嫌な気分になる。「『そういうことになっている』という話ばかりだ」

本当に、「そういうことになっている」ということが多すぎる。これも「知覚が失われる」ということと同じ気がする。普段の生活でも「それでお前はいいのか?」と聞きたくなることがたくさんある。
この巨大なシステムの問題は、いろいろあるかもしれないけれど、この本に書いていた、

「悪い奴らはいないのかよ、そこに」
「悪い奴はどこにもいない」

という部分を読んで、がっかりした。本当にがっかりなんだ。悪い奴がいればいいのに。
暗いニュースを見ていると、毎回そういうことを考える。なんだか覚悟がない人間が少なくなっている気がするんだよね。悪いことを推奨するつもりはないんだけど、悪いことするならばそれなりの覚悟をもつべきだ。悪人になるならば、立派な悪人になってみろといいたい。
勇気と覚悟はあるのか?
くさいセリフかもしれないけど、生きていく勇気があるのか?愛と平和を望む勇気はあるのか?
そのときに、覚悟は勇気と等しいのかもしれないと思った。
やっぱ最後は愛だな。愛。

昔は良かった、とかよく言うけど、昔も良くはねえんだよ。いつだって、現代ってのはよくなくて、だからな、俺たちは自分の生きてるその時と向き合わないといけねえんだ。