白仏 ‐ 辻仁成

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白仏 (文春文庫)
筑後川下流に生まれた江口稔の人生を描いた物語。
幼いころから生と死についての興味を抱いていた稔は、戦争を経験し、激動の戦後を生き、その答えを見つけ出そうとする。

筑後川下流の島に生まれた稔は発明好きで戦前は刀鍛冶、戦中は鉄砲修理、戦後は海苔の加工機製造などをしてきたが、戦死した兵隊や亡き初恋の人、友達、家族の魂の癒しのため島中の墓の骨を集めて白仏を作ろうと思い立つ。


何よりも。
著者の亡き祖父の話であることには驚きだ。「海峡の光」でも感じたが、この人の文章はとてもやさしくて、今回の白仏では「生きる意味、死ぬ意味」という永遠のテーマについて、強い意志を感じることができた。

どんなに遠くにいても会いたいと思い続ければいつかは会えるかもしれないというのが生だった。

僕も小さい頃、ずっとそういうことを考え、怖くなって布団の中で泣いていたことがある。とくに、じいちゃんの家にあった仏壇には、僕の知らない人の写真が置いてあり、その光景にとても違和感を感じた。
きっと「絶対に会えない」という気がしたからだろう。

ぼくが消えたらこの世界はその瞬間に消えてしまうと思うばい。

天国とか極楽とか。そういうものは「生きている人間のためにある」という話を聞いたことがある。だとすれば、死んだ人間にとっての世界とはなんだろう?

生きているという実感とはこういうものなのか、と思った。

生きているという実感。これは、生きている人間ならば感じることができる感覚の一つだ。ならば、死とはなんだろう?死ぬという実感は存在するのだろうか?
答えになるかならないかは別にすると、この白仏ではこう訴えかけている。

死は敗北ではありませんばい

コメント

  1. chey より:

    死は敗北じゃなくって解放だと思います。
    っつか死んでいる状態が普通で、今肉体を持った状態がイレギュラーかな、と。
    肉体を持っているから煩悩がわいてくる。その煩悩にどれだけ打ち勝つことができるか自分を試す修行の場が生きること。
    わたしにとってはこの人生どれだけ楽しめるかっていうのが楽しみ。好きなところいって、好きなことして、色々な経験したいのです。
    一蓮托生っていうのは、ひとつ蓮の上(仏教でいう世界観のひとつ)に、死んだらみんないくよっていうことらしいです。
    そう考えると会えない人っていうのもいないのかもと思います。
    そもそもそんなことも考えないのかも。
    10年くらいまえ事故にあって生死をさまよいました。おきたら知らないベッドの上で、何があったかもわからなかった感じです。幽霊っていうのはそんな感じで「何があったかわからない」状態、自分の強い感情を持ったまま、あるいは周りを認識できない状態で自分の精神の時間をとめてしまった人では、と感じます。
    だからわたしがあのまま死んでしまったら、きっと長い間、自分に何が起こったかわからない状態でぼーっとしてたのかもと思います。だから誰に会いたいとか、悲しい寂しいとかもないのかも。そこから目覚めたときに蓮の上にいけるのかも。
    え? そういう精神的に話はどうでもいい?^^;)

  2. ふじはら より:

    仏教の言葉って深いですよね。
    最近、奈良の大仏には、いろんな言葉や模様が刻んであって、それぞれに意味があるって話を聞きました。奈良に行ったら目を凝らしてみてみたいなと。
    白仏は、今まで読んだものと別格の感があって、読み終わって久しぶりに「おぉ!」と体がぶぶぶ!と震える感じがありました。
    解説にも書いてあったのですが、島で朽ちていくを墓を見て、「みんな同じ島で生きた人間なのだから、同じ仏になって、後世への記憶に残したい」と、著者の祖父が実際に行動したことを、フィクションを交えて語っています。
    人間が立派な墓を建てたがるのは、忘れられたくないからだという話を聞いたことがあります。
    主人公の稔は、忘れられることを恐れ、その恐怖から白仏を建てようとしたのかもしれません。
    死とその反面にある生に対し、ここまで、きちんと丁寧に、強く書いた本は、中々なかったなーと思います。