でも結局同じだったと信じたい

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「思い出は逃げ込む場所ではない」
というのはある映画のセリフだ。思い出に囚われた相手を哀しみ、主人公を巻き込もうとした相手に向かっていった言葉だった気がする。
じゃ、はじめよう。


僕は思い出に逃げ込んでいる、というよりも好んでそうしている。2つ選択肢があったとしたら難しいほうを選ぶようにしている。困難は楽しまなければ乗り越えれないと思っている。だから、僕は思い出に逃げ込んでいる。自分にできる唯一の現実逃避だ。
思春期の頃は、誰もが世の中に絶望を感じたりする。僕だけかもしれないけど、小説にも書いてあったから結構な数、多分、首相を支持する人間ぐらいはいるのだろう。僕はその絶望を解放できないまま大人になっている。自己分析だから責任はもてないけど。
世の中は思い通りにいかない。まさか。思い通りに行くときもある。なければ残念。運がなかったとあきらめるしかない。仮に自動販売機に100円玉が入っていたとしても、気がつかない人間には気がつかない。それと一緒だと思う。
戻そう。僕は思い出に逃げ込んでいる話だった。そのとおり。僕は思い出に逃げ込んでいる。そのときは、普段感じる苦痛を忘れることができる。そうじゃないと死んでしまう可能性が高くなる。僕はまだ死にたくない。絶対か?と聞かれると考えてしまうけど、多分、まだやりたいことがあるような気がする。そう、気がするだけだけど。
思い出の話だ。思い出の中で、当時選んだ選択と違うことを試してみる。そうしたらどういう結果になるか?都合のいい話、そういうときはきまってハッピーエンド。本当にそうなのかな?考えてもしかたない。
「でも結局同じだったと信じたい」
同じような話。思い出の話だ。ある人はそういった。この言葉を聞いた時、正直感動した。きにいったセリフ・・・よりも大切な言葉を見つけた瞬間だった。「デモケッキョクオナジダッタトシンジタイ」。そう信じれる人はすごい。そんなこと考えもしなかった。
その理由は簡単。僕は2つの世界を持っている。一つは平和で暖かい世界。もう一つはここに書きたくない冷たい世界。2つを足して2で割った場合、このような言葉が出てこないことに気がついた。そうなんだよね。答えは知っている。結局そこに行き着く。
僕は絶望からまだ抜け切れていない。本当にかわいそうだ。