神の沈黙 – 遠藤周作「沈黙」より

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沈黙

一人の人間が死んだというのに、外界はまるでそんなことがなかったように、先程と同じ営みを続けている。こんな馬鹿なことはない。・・・
なぜ、あなたは黙っている。あなたは今、あの片眼の百姓が(あなたのために)死んだということを知っておられる筈だ。なのに何故、こんな静かさを続ける。

小説「聖書」の後に読んだせいか、とても考えさせられる本だった。遠藤周作さんの「沈黙」では、神様がいるのかどうか迷う人間が鮮明に描かれている。さすがわ遠藤周作さんだけあって、はじめは読みにくそうな印象をうける「沈黙」なのだが、読んでいくとだんだんのめりこんでいくのが自分でもわかった。
「沈黙」は秀吉が日本を統一した時代に、キリスト教布教にやってくる宣教師(パードレ)の物語だ。当時、キリスト教への弾圧が厳しく、「踏み絵」とかもこの時代に登場したらしい。それでも、隠れキリシタンに布教をおこなおうとするパードレたちは、弾圧され次々と死んでいく農民たちを救うことができない。やがてパードレたちは目の前で死んでいく彼らに対する「神の沈黙」を知り、神という存在に疑問を持ってしまう。
「沈黙」では人間についてこう書かれていた。

人間には生まれながらに二種類ある。強い者と弱い者。聖者と平凡な人間と。英雄とそれに畏怖する者と。そして強者はこのような迫害の時代にも信仰のために炎に焼かれ、海に沈められることに耐えるだろう。

しかし、強い人間だけが存在するわけではない。劇中に登場する「キチジロー」という男は、自分を弱い人間だと認識し、仲間を裏切る行為をとめることはできないと泣き崩れる。これも人間の弱さなのだ。
神は存在するのだろうか?
はるか昔の日本やエジプトでは「神」と名乗る人間が存在した。しかし、それはあくまで人間だった。僕は八百万の神は信じている。晴れて欲しいときは「天気の神様」にお願いしたり、海や山には神様がいる気がする。自分が信じるものは自分できめればいいと思う。ただ、神という存在を自分の都合よく扱うのは、ただの人間の弱さでしかないだろう。
神を特定することは難しいが、人間は人間でしかない、自分も自分でしかない、というのは事実だ。勝手な人間ばかりなのだから、神も沈黙して当然だろう。
参考
斜陽 – 遠藤周作「沈黙」について