ゴミはゴミ箱に

感想おまちしてます!

僕は多分、超合理主義&超現実主義だ。
楽しくないことをやるのは嫌いだし(例えば会社の飲み会)、無意味な会話なんかが続くと寝るし(例えば会社の会議)、意味のわからないこと(例えば先輩の説明)にはさっさと「意味がわかりません」と言う。これらは人に勧めれるものではないが、こうすることでかなり幸せな&楽しい&スムーズな生活を営んでいると思う。
社会人になってもう3年(いやーびっくり)になるが、多分これがきっかけで合理主義&現実主義に磨きがかかったのだと思う。
最近よくおもうのだが、ある考え方を捨てるといい発想が浮かぶことがよくわかった。それは「普通」とよばれるものだ。デファクトスタンダードで使われているというものであっても、IT業界(こういう言い方は好きじゃないけど)ではスタンダードなんてすぐなくなって新しいスタンダードが現れる。その流れについていけない人は、大体一緒に働いていてうっとうしい。
しかし、年をとるにつれて考え方を変えることが難しくなるのは仕方がないことだ。だって、新しいことを覚えようにも、人間の脳みそはどんどん死んでいき、再生されることはほとんどない。でも、できることだってあるんだろうなーと考えた結果が「普通」という考えをなくすことだった。


前にも書いたが「常識」とか「普通」とかをよく使う人間ほど普通じゃないと思う。自分自身の「普通」と全世界の普通をちゃんとわけてしゃべっているのか謎だ。「普通」を連発する人間を見ていると、「お前、世界を代表するモラリストぶってんじゃねーよ」とか考えてしまい、滑稽でふきだしそうになってしまう。
この考え方を持つと、すべての出来事が「あかちゃんレベル」になる。すべてのことが初めての経験になるのだ。「ソフィーの世界」にうまい表現があったので説明すると。。。

赤ちゃんと夫婦が3人でいるとする。突然お母さんが空中に浮かんだとすると、お父さんはビックリ仰天するが赤ちゃんはなにもおどろかない。これは世間一般の通説のようなものを、お父さんは「生きるという経験」から学んでいるが、赤ちゃんにはどれが「普通」なのかわからないからおどろきようがない。

この考え方は仕事でおおいに使える。ただ、最低限の部分、例えば「電車に乗って会社にいきますよー」というようなレベルでこうなってしまうと、会社にたどり着けないのでかんべんしてほしい。僕の場合は、一応エンジニアで「ものづくり」しているので、人が作っているのをみて違和感を感じたら「なんでこうしたの?」と聞くことなどがそれにあたる。相手がうまく説明できない場合は、「普通こうするかなーと思ってやってみた」という答えがとても多い。さらに「それが普通なんですね」というと「わからない」と言われる。
じゃー普通じゃないやん。終了。とても合理的だ。
世の中の物事には大体理由がある。僕の仕事のような自然界で必要か必要でないかよくわからない仕事なんかは、理由がなけりゃやってられない。その理由を考えずに作業するということは、ババアが「永遠の十代です」と、反応に困る微妙なボケをかますぐらいうっとうしいことだ。
当たり前だと思いがちなことにほど穴があるものだ。初めての感覚で見れば、なんだってシンプルに見える。どんな仕事にでも当てはまるかはわからないが、必要な部分はそれはそれで残し、それ以外は心してとりかからないと、結局苦労するのは自分だと思う。大切なのは「現時点での普通なのか?」という簡単な問いだけだ。
だとするなら、「普通」なんていう考えなど合理的に、かつ現実的にゴミ箱に捨ててしまえばいい。