若きサムライのために – 三島由紀夫

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若きサムライのために

ちょうど、ダイヤモンドのかたさをためすには、合成された硬いルビーかサファイヤとすり合わさなければ、ダイヤモンドであることが証明されないように、生のかたさをためすには、死のかたさにぶつからなければ証明されないのかもしれない。

三島由紀夫さんといえば、僕が生まれるより前に亡くなった方で、死に方にインパクトがあったから「右翼だ」とか「ゲイだ」とかそういうことばかり言われているけれど、この人はとても正直な人で正義感が強く、生きているならば好感がもてるような人じゃないかなと思った。
大体、この人が「右翼」とよばれる人であるなら、結構な人が「右翼」でくくられると思う。確かに精神講和などで語られる様はそうみえるかもしれないが、一昔前なら普通に考えられていたことだと思う。何よりも「金閣寺」をよんで感じたことだが、あんな文章を書く人がかたよった考え方を押し付けるようには思えない。
三島由紀夫さんは作家についてこんなことを書いていた。

われわれは、感受性の傷つけられやすいもろさの中に、ことばの世界に遊ぼうとする。
(若きサムライのための精神講和について)

若くして作家となった人はそれまで生きた時間の中で感じたことを膨らませて文を書く。経験というより感受性で書くらしい。これは確かにおもしろい話だと思った。そういう作家いるもんな。
前に三島由紀夫さんが割腹自殺をしたことについてTVで語られていた。没後うんぬん年の企画だったと思う。当時同じく気鋭の作家だった石原慎太郎さんなんかが「なぜ今こんなことを」と語っていた。当時誰もが「なぜ死に急いだ?」と思ったのだという。
自衛隊駐屯地での演説などを調べると、確かに客観的に見れば「茶番」と呼ばれてもしかたがないような部分もある。しかし、僕が一番初めに思ったのは、ここまで危機感や焦燥感をもち死んでいった人ってそういないよな。。。というものだ。あの「金閣寺」にこめられたぎとぎとした生という力強さ。村上龍さんから感じるものと同じだった。
この「若きサムライのために」という三島由紀夫さんのエッセイを読んで、「三島さん、形は違うかもしれないけどあなたが憂いたようになっていると思います」と思った。