沈黙

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沈黙

でも僕が本当に怖いと思うのは、
青木のような人間の言い分を無批判に受け入れて、
そのまま信じてしまう連中です。
村上春樹 – 「沈黙」より



私はとても考える人間でして、人から「考えすぎだ」と言われることがたまにあります。それはすべてを気にする性格だからでしょうか、人の発言などにはとても執着を持ちます。相手の軽はずみな発言によって、誰かが傷ついたりすることが許せません。しかし、それは言われた本人の問題であって、私が煽ったりその人をかばっても、何かは埋まるのですが、何かに穴があいてしまう気がします。
また、その矛先が自分に向けられるのも許せません。何もわからないのであれば、教えてあげればいい。私はそう考え、それを実践してしまいました。
こういう考えはいけないものなのでしょうか?それをうまく説明してくれる人はなかなかいないものです。ある程度のことを論じられても、結局は私の「なぜ?」という言葉で会話は終わります。そのたびに私はとても悲しくなるのです。そして、誰かが知っているものだということの裏側に、自分だけが知らないのではないかという恐怖を感じてしまいます。
そうやって誰も信じなくなるのです。
高校生の頃。私はほとんど学校に行かず働いていました。今思えば、高校という場所の思い出など一つもなく、わずかですが一緒に過ごしたクラスメイトの名前すら一人も浮かびません。そのかわりに、様々な年代の人と出会うことができ、なんでも話すことのできる友人にもたくさん出会いました。「プラスマイナスゼロ」というものでしょうか。どちらにも同じ力を注げればよかったのでしょうが、そううまくできないこともあります。私には私の信じるものがあったのです。
ある時、学校の体育の授業のときに、思いがけないことが起こりました。私の行っていた高校では、体育の中に「剣道」が組み込まれており、生徒全員が3年間それに取り組みます。その日は、剣道の試合が試験として行われました。1対1の試合です。自分の出番がきて試合が始まると、相手の雰囲気にとても異様なものを感じました。相手は剣道としての戦い方などではなく、私の体全体を無我夢中にたたきつけてやってくるのです。相手は防具をつけていないところもお構いなしに攻めてきました。
面の隙間から相手の目を見たとき、私はさらに異常を感じました。彼の目は何かを越えていたのです。怒りでもなく、恐怖でもないすさまじい目をしていました。その時の私が何を考えていたかはわかりません。覚えているのは、限度を越える相手に合わせ、私も同じように相手にぶつかっていたことです。
試合後、面をはずしたときに相手と目が合いました。その時、私はようやくわかったのです。相手は私を否定したかった。輪の中に含まれない私を、自分の納得のために叩き潰したかったのだろうと思いました。相手は息を切らしながら、言葉どおり「うらめしそう」に私に目を向けます。彼が私に向けたのは、学生生活に生まれる自然な強者と弱者との関係をそのままにした、彼自身のの自尊心だったのです。
彼がどういう人間だったのかは、学校にあまり行っていない私にはわかりませんが、彼は、私のような人間の存在を殺そうとしたのでしょう。試合という正当な理由を元に、皆の前でそれを証明したかったのでしょう。
そして、そういったことも忘れ、月日は変わることなく同じように過ぎていきました。少し前に村上春樹さんの「沈黙」を読んで、私はこの物語になぜか不快なものを感じました。そして、昨日「レキシントンの幽霊」に含まれる「沈黙」を改めて読んだときに、同じような不快感が蘇りました。なぜだろう?と不思議に思いましたが、その理由がようやくわかった気がします。
私も彼を殺そうとしていたのです。
私の中にも彼と同じような考えがあったのです。私の中にも彼と変わることのない自分という自尊心が存在していたのです。私は自分を必死に守ろうとして、同時に相手をつぶそうと思っていたのです。私は「沈黙」に登場する「大沢さん」のように、「悲しみとか哀れみに近い感情」というものを、当時は考えることができませんでした。当時の私は、完全に「無関心」だったのです。これは「孤独」とも言えます。誰にもかまわず、心赴くままに生活をしていたことで、現実を自分から切り離していたのです。
私は今日、ふとした時にこのことを思い出しました。なぜこういうことを思い出したのかを説明するのは難しいのですが、いろいろなことを考えた結果、とても絶望的な状況が浮かんできたのです。自分の中の変わらない部分。あの時のような感覚がまた浮かんできて、それに触発され膨らんでくる世界。これを人は「悪い癖」や「考えすぎ」というのかもしれませんが、冷静に考えたとしてもこれは私の中にある「真理」と呼べるもののように感じてしまいます。
この私の真理の中には沈黙しかありません。声をあげる力もなく、ただ沈黙が覆いつくすだけなのです。私はこの沈黙が訪れた瞬間、いつも身の危険を感じます。自分が命を狙われており、誰かの意思の元にいつでも撃ち殺されてしまうような感覚になるのです。このときほど、自分の生命力というものを感じないときはありません。あるのは「沈黙」だけなのですから。
その深い世界の中に私はいます。そこには「今」の自分がいます。そして、「彼」が現れます。沈黙が二人を包む中、私はとても悲しい気持ちになります。私の彼を見る視線は、一見普通に見えるのですが、私の心の奥には、声にならない、声にできない何かがうごめいています。完全な孤独です。その孤独を私は見つけてしまいます。そして、くたくたに疲れきった自分を感覚で感じたその時、今まで忘れていた生命力を感じるのです。それは本当に微かな光なのですが、確かに、確実に光っているのを感じることができます。
私はこれを「自分」という希望だと考えています。

コメント

  1. カイエ より:

    村上春樹 『沈黙』

    沈黙
    作者: 村上 春樹
    出版社/メーカー: 全国学校図書館協議会
    発売日: 1993/03
    メディア: 単行本
     
     Ama…

  2. chaton より:

    「心の闇」は消えることはないけれど、薄めてゆくことはできると教わりました。
    形は違いますが、私は9歳の夏、心に刻まれました。
     
    「沈黙」 ・・ 、 自分に気づく大切な瞬間かもしれません。
    「微かに光る希望」 ・・ 、 私も持ち続けたいと感じました。

  3. 「なにかしらの限界」に近づくととても残酷な気持ちになります。もうだめだと思ってしまいます。しかし、その限界に近づけば近づくほど、自分の生命力に気が付き、「生きている」という事実をはっきり感じます。そうならなくても感じていけるように僕はなりたいです。