幸福な遊戯 – 角田光代

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幸福な遊戯
前に岐阜の友人である「おーのちゃん」の家に遊びにいった。
確かゴールデンウィークあたりだったと思う。僕は東京から名古屋へと向かい、サチという友達と名古屋で待ち合わせして、おーのちゃんの待つ岐阜へと向かった。
久々にビール飲んだりして、3人仲良く並んで川の字で寝た。寝るときに「川」ではなく「河」だったらもっと人数いるね、なんて話したりして寝転がった。そこでの生活はなんか楽しくて、3人で暮らしているみたいだった。
サチは「このまま3人でくらそう!」とか言っていたが、僕は「楽しいけど、俺やおーのに彼女ができたり、サチに彼氏ができたりしたら、さびしくなるやん」と言った。サチは少し考えた後、「そやなー、サチがいなくなると2人とも悲しむやろーな」と笑いながら言った。僕とおーのは「多分、せいせいすると思う」といったが、サチがきーきーいうのを見て笑ってしまった。
学校を卒業するときとか、バイトをやめるときとか。
自分が、もしくは自分ではない誰かがいなくなるときはとても切ないことだと思う。だから、送別会とかそういうのが僕はとても苦手で、いつもなんで切ない思いしてまであつまるかなーとか思っていた。僕は別れの寂しさを受け入れたくないのだろう。
ずっとここにいればいいのに。ずっとこのままだったらいいのにと思うときほど、人との関わりを感じることはない。おーのに彼女ができたり、サチが結婚したりすると、多分今の僕らが築いた「関係」という形は変わってしまうだろう。寂しいことかもしれない。
しかし、今までと違った新しい形が生まれると思えば、人を見送るのもそう悪くはないことだと思った。

コメント

  1. chaton より:

    「幸福な遊戯」、タイトルの余韻、すれ違っていく時空の哀しさを感じてしまいます。
    最後のページの、「もうすぐ帰るから、きっと帰るから……でも帰りたくないの。」、
    この言葉が印象に残り、こころに、今も響いてきます。
    人との関わり、その姿なき形について、深く考えさせられました。
    ひとときの幸せ、そして別れの中から、掴んでいくものなのかもしれません。
    あなたの文章に、今日もすいこまれていくようで、不思議な感覚の一日でした。

  2. だい@Macに移行予定 より:

    chatonさんよく知ってますね!確かに「幸福な遊戯」という言葉がぴったりな気がします。遊戯はいつか終わるんだよね。。。