家族狩り – 天童荒太

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幻世(まぼろよ)の祈り―家族狩り〈第1部〉
僕の家族は両親がいて弟が一人いる。
家に帰ったら母親がいて、夕飯のにおいがする家庭だ。母親はちょっとヒステリーだが、根は優しい人間で、彼女の趣味の影響もあって本、映画、音楽が好きになった。
父親は夏には海へ、冬にはスキーへと連れてってくれるような父親だ。人間としてできた人間で、僕の短気で厚くなりやすい性格は母親から、我慢強く、しぶといところは父親からもらったもんだろう。
ある夫婦のいさかいが原因となり、そんな家庭が少しゆれた時期がある。
ちょうど兄弟は思春期を向かえ、弟は反抗期のせいか、母親に暴力を振るうときがあった。そんな彼に向かって暴力を振るったのが僕だ。


「家族狩り」では登場人物誰もが悩み苦しむ。幸せな家族が登場しない点が、生々しく痛い。誰もが幸せを望むのに不思議なものだ。児童の保護センターで働く女性。学校の教師。息子を亡くした老刑事。彼らは「一家惨殺事件」を中心に引き合うようにさまよう。子供が家族を殺すこの家族狩り事件の先に彼らが見るものとは。。。
僕は「家族狩り」でいうならば、馬見原に似た考えを持っている。ようは、暴力を振るうなど家族に被害を与えるのであれば、そういう人間はとことん懲らしめてしまえばいい。それでわからないのであれば、家族なんて捨ててしまえばいい。当時の僕は「家族」なんて枠組みで物事を考えたことがない。血のつながりはあろうとも、お互いが個々の人間でしかない。自分は自分で守る。他人を守れるほど高校生の僕は強くない。
東京に出てきたのにもそういう理由があるのだろうと思っている。しかし、今の僕の家族はとても平和に暮らしている。あの頃の出来事は「一時的な嵐」のようなものみたいになっている。でも、なぜそうなったかという原因はうやむやなまま消えてしまった気がする。「全然解決していない」といえばそうかもしれないが、もともと「家族」が何かわからない僕にとっては、それほど問題でもない。
「空中庭園」という映画の予告編であったが、原作者の角田光代さんはこういっている。

家族っていったいなんなのか?それを知りたくてこの小説を書いた。書いても見つけられなかった答えを、この映画は見せてくれた。

家族に対する価値観は、人それぞれ異なるものだろう。
だから、この「家族狩り」を呼んだとしても、「空中庭園」を見たとしても、「そうだったのか」と思える答えは期待できない。期待してはいけない。
「家族はこうだ」なんていえるほど偉くはないが、そういえるぐらいに家族を愛すことができる人間になりたいな。
遭難者の夢―家族狩り〈第2部〉
贈られた手―家族狩り〈第三部〉
巡礼者たち―家族狩り〈第4部〉
まだ遠い光―家族狩り〈第5部〉