世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド – 村上春樹

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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉

どれだけ歩けば、彼は人間なの?
どれだけ船をこげば、白いハトは砂浜で眠ることができるの?
どれだけ銃弾が飛べば、永遠に禁止されるの?
友よ。答えは風の中。
答えは風の中。
Bob Dylan – blowin’ in the wind より

この小説の中で、村上春樹氏はボブ・ディランを「まるで小さな子が窓に立って雨降りをじっと見つめているような声」と例えている。(正確に言えば、登場人物が例えているのだが)
ボブ・ディランのCDを借りてきて聞いてみたが、とてもうまく表現しているように思えた。(小説の中でもしているのだがね)この小説のバックミュージックにボブ・ディランはぴったりだ。
データを守る「計算士」である「私」が老研究者との出会いより、事件に巻き込まれていく「ハードボイルド・ワンダーランド」と、高い壁に囲まれたすべてがあって何もない一角獣のいる世界で影を奪われ、「夢読み」として生活する「僕」の「世界の終わり」が、微妙なバランスをもちながら交互に語られる、村上春樹ワールド。(ワールドというのがぴったり)やがて2つの世界の関係が明らかになっていくのだが。。。
この中で、「百貨辞典棒」という面白い話が書かれていた。


「百貨辞典棒」というのは、どうも「科学者が考え付いた理論の遊び」らしい。百科事典に書かれた文字すべてを、爪楊枝1本に刻み込めるという説なのだが、「あーなるほど」と思える頭の体操のようだった。
・文章を全部数字にする
・数字を一列に並べ、一番前に小数点を置く(0.をつける)
・爪楊枝の長さを1として、出来上がった数字にぴったりの場所にポイントを入れる
理論的に可能。。。というものだがなかなかユーモラスだ。
また、登場人物の個人的偏見が面白い。例えば、

世の中の多くの人々が曖昧なものの言い方をするのは、彼らが心の底で無意識にトラブルを求めているからなのだと私は信じている。

千円出せば一生使う分くらいのペーパークリップが帰る。私は文房具屋によって千円分のペーパー・クリックを買った。

などなど。
やることなすことが「理屈」にかなっている気がするのだが、なぜだか「ずれて」いる気もする。
「世界の終わり」と「現実」の間でゆらめく2人の主人公。どちらかといえば、「世界の終わり」のなんともいえない空虚な文章がとてもよかったように思う。村上春樹氏の描く主人公たちは、「完璧」のようで何かが足りない。その足りない何かは誰もが持っている「何か」なのかもしれないと思えるから、引き込まれるように彼の小説を読んでしまう。