自由が燃える温度、華氏911

感想おまちしてます!

自由の国アメリカ。
その自由が燃えようとしている。
華氏911
華氏911 – マイケル・ムーア監督作品
2001年9月11日。
アメリカで同時多発テロが発生した。
アメリカは主犯をビン・ラディンと断定し、
ビン・ラディンを含む国際武装勢力アルカイダの引渡しを
アフガニスタン、タリバン政権に要求。しかし、これをタリバンは拒否。
アメリカはアフガニスタン空爆を開始した。
アフガニスタンでタリバン政権が崩壊。
アフガン暫定機構が発足し、ハミド・カルザイ氏が議長に就任する。
(カルザイ氏はのちに、アフガニスタン大統領に就任する。)
その後、アメリカは大量破壊兵器を所持する国として、
イラクを含む数カ国を「悪の枢軸」として非難する。
イラクに対して国連の査察などが行われ、
ついに、米英軍によるバグダッド攻撃が始まった。
イラク戦争の始まりである。


映画を客観的に見れば、ブッシュ政権へのバッシングだった。
大統領という人間に的を絞り、間抜けな大統領の映像を作り出している。
それぐらいの映画なのだろうと思っていた。
9.11の報告を受けたときの大統領の顔が印象深かった。
まるで、誰に聞くこともできず、ただ周りは時間が過ぎていて、
立ちすくんでいるようだった。
大統領にまでなった人間でさえ、こんな表情をする。
大統領もただの人間でしかない。
哀れで弱々しい彼の目が忘れられない。
ブッシュを皮肉る映像には笑いがこみ上げてきた。
バラエティ番組みたいな編集が行われていたせいかもしれない。
一番笑ったのは、テロの後、アメリカは米国内の全飛行機の離着陸を
中止した時のエピソードだ。
旅行客は空港で足止めをくらい、飛行機網が完全に麻痺した。
グラミー賞に向かおうとしたリッキー・マーティンもその一人で、
「リッキー・マーティンですら飛べない!」という字幕がでた。
確かに彼はいろんな意味で飛んでるけど。(笑)
ムーア監督はさらにエキサイトする。
「愛国者法」という法案がテロの後、異例の速さで可決された。
この法律は「テロリズムを摘発し阻止するため適切な手段を提供し、
アメリカを団結させ強化する法律」の愛称である。
簡単に言えば、「携帯電話の盗聴やメール閲覧などを勝手にしても、
愛国心があればいいよね」というような内容のものだ。
FBIなどの捜査当局の権限の強化により、国民は完全に国の監視下に置かれた。
個人のプライバシーにかかわるこういった法案であっても、
議員さんは作成された文章全てのページに目を通すわけではない。
なので、監督は下院の近くで、車からこうスピーカーで叫んだ。
「議員のみなさーん。今から愛国法を読みますね?!」
イラクでは、石油利権という金にまみれた侵略に借り出された兵士たちが、
音楽を聴きながら人を殺す。市街地戦の為、誰が敵なのかがわからない。
関係の無い市民をまきぞいにし、捕虜や死体を侮辱する。
米兵の黒焦げの死体がつるされる。死体がトラックにつまれ運ばれる。
大義名分が落ちれば、こうなって当然だろう。
しかし、帰還を望む兵士も多い。
何の為に戦うのか考えれば、そうなるのも当たり前だ。
彼らは、「イラクの国民は私たちに何もしない。しかけているのは我々のほうではないか?」と母国や自らに疑問を投げかける。
フセイン政権崩壊後、抵抗勢力の影響で、アメリカ軍はベトナム以来最大の犠牲者が出ている。
兵士の補充をしようにも、行きたがる兵士はいない。
軍は、失業率が50%を越すような町で若者を勧誘する。職の無い人間に金を保証する。
どこにでもあるような普通のショッピングセンターで、軍関係者はスカウトを行っていた。
想像できるだろうか?平凡な町の一角で。
監督は、議員に軍の入隊案内を配ろうとした。
議員の身内で、兵士として戦っている人がいるのは1人だけらしい。
僕の母親がこんなことを言っていたのを思い出した。
「戦争を始めようとする政治家がもし現れ、軍隊に子供を連れてかれそうになったら、私がその政治家を殺す」
僕は親になったことがないのでなんとも言えないが、
どんな親だって、子供を戦争にやりたくない。
一般の国民だって、議員だって、やりたくないのは同じに決まっているはずだ。
貧しい人々だけが戦争に借り出され、戦争を始めた人間は、安全な場所で人殺しの指示をする。
これが戦争なのだろうか?
戦争がしたいのであれば、僕達の迷惑にならない場所でやればいい。
兵士がほしければ、自分が戦えばいい。
軍で働く人間の多い家族もいる。
その母親は言う。
「戦争反対という人たちの意味がわからなかった。」
母親が言うには、「これは家族に対する侮辱にしか聞こえない」らしい。
彼女の息子や娘達は、祖国の為に戦う。
彼女はこう続ける。
「でも今はわかる気がする。
彼らは軍を憎んでいるのではなく、戦争に反対しているだけだから」

ブラックホークの墜落で、息子を失った母親が、ホワイトハウスを訪れていた。
ホワイトハウス前には、「反戦争」を掲げる人がテントを張っていた。
イラクの人々は何も悪くないと言っていた。たくさん死んでいると言っていた。
それを見て、母親が「息子もイラクで死にました」といった。
すると、近くにいた女性が、テントの人間に近づいてきた。
反戦運動を見下すような印象だった。
「誰が何処で死んだの?」と女性は聞いているようだった。
テントの人間は「イラクでたくさんの人が死んでいる」と言う。
少し口論になりかけたとき、母親はこういった。
「私の息子はイラクで、戦争で死にました」
女性は何も言わなくなった。
母親は泣きながら立ち去っていった。
母親の背中に、女性の声が飛んできた。
「アルカイダが悪いのよ」
母親は泣きくずれた。
戦争を始めたのは誰だ?
ゴシップ的な要素も強かったが、この映画は低俗な週刊誌などとは違うと思った。
マイケル・ムーア監督が、「ボーリング・フォー・コロンバイン」で
アカデミー賞を受賞したとき、彼は壇上でこう叫んだ。
「戦争反対、ブッシュなんてくそくらえだ!」
ちょうど、イラクへの攻撃が開始された時期でもあり、彼は壇上から引きずりおろされた。
あの時のアメリカは、9.11の悲しみと怒りを、
「対テロ」という目標を掲げることで団結しようとしていた為、
ムーア監督が叫んだときの会場の反応は今ひとつだった。
(確か観客の3分の1ぐらいが拍手してた気がする)
あれを見たときは、「なんじゃこの親父は?」と思っていたが、
彼はブラックユーモアだけで、この映画を作ったわけではないと思った。
議員に問い掛ける監督の視線は、真剣そのものだった。
こんな目をする人間だから、こんな悲惨な映像が撮れたのだろう。
この世界は平等ではなかったのだろうか?
この映画では大統領が主役だが、
代表としての使命感も、度が過ぎれば個人のエゴだ。
高級車で移動をし、クーラーの聞いた部屋でふかふかのイスに座って、
笑いながら議論するオヤジ、老人から見れば、
僕のような一般市民など、対等に見てくれないのかもしれない。
この映画は悲惨だ。ずっと悲しかった。
しかし、こういったドキュメンタリー映画も必要だと思う。
すべてが真実だと言い切れるわけではない。
真実かどうか、見極めることも必要だ。
全てが真実であっても、何かしようとする人間は少ないのも事実だ。
だから、こういった熱い映画を作る監督が出てくるのだろう。
この映画がどういう風に評価されているかは知らないが、
ムーア監督は、少なくとも声をあげた。
一番怖いのは、入隊パンフレットをもらって戸惑う議員だけではない。
権力というものの上で踊り続ける、じじいどもを選んでしまった我々にも責任はある。
何もしない、何もわかろうとしない国民のほうがよっぽどたちが悪い。
決して他人事などではないのだから。
もし忘れてしまったり、もし傍観者でありつづけてしまったなら、
自由など簡単に燃えてしまう。



後半は涙があふれそうになるシーンが多かった。
エンドロールは、胸に手を当てて見た。
過去は永遠に残る。
悲しみは早く忘れてしまいたいものが多いけれど、
未来を生きるために思い出さなければならないこともあると思う。
9.11の犠牲者、そしてその家族。戦争で亡くなったたくさんの人々。
彼らの死を無駄にせぬように、僕はしっかり現実を見たい。
決して目をそらさずに。