心の指紋

感想おまちしてます!

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(写真)グリコ!
人間は誰もが対等だと思います。
もし、「私は偉いんだ」と思っていたとしても、私の話す言葉には関係ありません。
もし、「私は惨めだ」と思っていたとしても、私には関係ありません。
私は、自分の会社の社長であっても、お客さんであっても、恋人であっても、友人であっても、
先輩であっても、誰もが対等だと思っています。
例えば、「お客様は神様だ」といわれるなら、そうかもしれません。
しかし、そういった仕事上の関係などではなく、人と人とのコミュニケーションとして、
私は対等でありたいと思うのです。


「先輩に対して」とか「年下のくせに」とか、色々なことを言われた事があります。
しかし、そういった人に共通するのは、どこかでラインを引き、どこかでランクをつけているところです。
私は、どんな人間であろうとも、対等に接するようにしてきました。
ときには、感情的になり、汚い言葉を吐いたこともあります。
しかし、私を対等に扱ってくれる人ならば、私の気持ちを察し、
私の言いたい言葉を引き出してくれました。これにはとても感謝しています。
アメリカ映画などを見ていて思ったのですが、字幕にはとても親近感のある言葉がでてきます。
年の差、性別など関係なく、誰もが対等に話しているのです。
実際に、ネイティブ(外人というのはあまりいい言葉でないかなと思います)と働いたことがありますが、
誰もが敬語というものを使いません。そういう概念がないのです。
彼らは親しみを込めて私に接してくれました。
しかし、馴れ馴れしさはまったく感じることがありませんでした。
なぜならば、彼らは私という人間に敬意をもってくれたからです。
私はこれに後で気がつきましたが、こういう人間といると、国籍を超えて敬意を持っている
自分がいることに気がつきました。
これは人間として付き合っている何よりの証ではないでしょうか。
私の周りで言うと、後輩であろうが先輩であろうが、私は気を使ったりしません。
相手も気を使わずに自然にいます。
言い方が少し悪いかもしれませんが、年上には敬語を使いますし、
それが日本にある文化みたいなものだとも思ってます。
しかし、そういった概念を超えて、私の友人と呼べる人間はすべてが対等で、
お互いがお互いを認め合ってます。
中にはうまくいかない人間もいます。しかし、それに対して文句を言うほど、子供ではありません。
そういった人間には、やはり対等に敬意を持って接してくれない人が多いと思います。
残念ですが、人間はたくさんいるので、これに関してはどうしようもありません。
ただ、うまくやっていくぐらいはできるのだろうと思っています。
私は敬意を持って、相手とコミュニケーションするようにしています。
そこには、何も怯えることなどなく、自分を守る必要もありません。
認め合っている人間であれば、傷つくことを恐れ、人を思いやる心を失う必要もないだろうと思います。
そうすることで、私は自分という人間を大切にすることができ、
その分、人にもやさしくできるのだろうと思っています。
傷つくこともあります。しかし、その根底には私に対する思いやりがあると思いました。
ここは難しいところです。私の思い違いであるかもしれません。
しかし、私はたくさんの人間という生き物の中からめぐり合うことのできた友人たちを、
誇りに思うことができ、信じることができます。
そう思っています。
どうせなら、涙を流すような出会いをしたいものです。
変な言い方かもしれませんが、大人になるとそういったことを忘れていくような気がします。
私はできれば忘れずにいたい。
自分が自分らしく、人に振舞うことができるように、
人がその人らしく私に接してくれるように、
私は、相手に対する思いやりを、恐れずに抱きたいと思うのです。

コメント

  1. fukukick より:

    はじめグリコの社長の言葉かと思いながら、読んでました。
    だいさんの考えだったんですね!すばらしい。
    自分が自然体にっていうのは思ってたけど、
    人が自然に振舞うことができるようにっていうのは考えてなかったなー。いや?改めてリスペクトです!

  2. だい より:

    グリコの社長とはおどろきました。(笑)
    画像がややこしくてすいません。。。(勢いで写真を選んでいるので(^^;))